今日は何の日?

  • ● 1534年 細川幽斎が三淵晴員の次男として誕生
  • ● 1585年 羽柴(豊臣)秀吉が蜂須賀正勝、前野長康を水攻め中の紀州太田城へ向かわせ降伏を促す
  • ● 1603年 豊臣秀頼が権大納言から内大臣に昇格する
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  • ● 1585年 羽柴(豊臣)秀吉が蜂須賀正勝、前野長康を水攻め中の紀州太田城へ向かわせ降伏を促す
  • ● 1603年 豊臣秀頼が権大納言から内大臣に昇格する

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この人誰?

小出吉英

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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黒田官兵衛(くろだかんべえ)

黒田官兵衛 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

88 (40 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

70 (366 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

97 (6 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

82 (94 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

83 (83 位)
合計 420 (38 位)2201人中
黒田官兵衛のグラフィック画像1
黒田官兵衛のグラフィック画像2
黒田官兵衛のグラフィック画像3
黒田官兵衛 の基礎データ
性別
別名 祐隆 孝隆 黒田孝高
幼名 小寺万吉
霊名 シメオン
法号・戒名 如水円清 如水 龍光院殿如水円清大居士
黒田職隆
明石正風の娘(小寺政職の養女)
配偶者・正室 櫛橋光
黒田官兵衛の自画像
その他のデータ 列伝
誕生年 1546年 豊臣家臣。主君・秀吉の参謀を務め、秀吉の天下統一に大きく貢献した。しかしその卓抜した戦略的手腕を恐れられ、禄高は豊前中津12万石におさえられた。
死亡年 1604年
気質 才覚
野心 12
才気煥発 さいきかんぱつ
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 張良之策 消費ゲージ 6
効果 前方範囲内の味方の攻撃力を小上昇し、敵の防御力を小低下
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 軍師看破
読み ぐんしかんぱ
条件 海(湖)以外
消費軍議 30 必要部隊 4
効果 軍師統括隊の防御力が上昇、視界が上昇し、敵の罠を確率で無効
補佐
名将 戦法効果時間を延長
史実保有家宝
家宝名 へし切長谷部 銀白檀塗兜

黒田官兵衛が登場する合戦

  • 福原城の戦いふくはらじょうのたたかい [織田信長の播磨・但馬平定]

    1577年11月27日 ~ 12月1日

    兵庫県佐用郡佐用町佐用福原

    福原則尚

    LOSE

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  • 宮地山城の戦いみやじやまじょうのたたかい [織田信長の中国平定]

    1582年4月14日 ~ 5月2日

    岡山県岡山市北区足守

    乃美元信

    船木藤左衛門

    LOSE

    備中高松城主・清水宗治の攻略を決めた羽柴秀吉は、峰須賀正勝黒田官兵衛らに高松城の支城にあたる備中宮地山城の乃美元信を誘降するよう命じるが、小早川隆景への忠義は揺らがず失敗する。

    そのため秀吉は、4月14日から冠山城とともに宮地山城を包囲した。
    4月25日に冠山城が落ちると、宇喜多直家の家臣・信原内蔵允が宮地山城の船木藤左衛門の内応に成功し、使者として宮路山城に入り和睦交渉が行われた。

    そして5月2日、水の手を断たれていたこともあり元信は降伏し宮地山城を退去した。

    これにより残る高松城の支城は鴨(加茂)城のみとなった。

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  • 高松城の戦いたかまつじょうのたたかい [織田信長の中国平定]

    1582年5月7日 ~ 6月4日

    岡山県岡山市北区高松

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  • 木津城の戦いきづじょうのたたかい [羽柴秀吉の四国平定]

    1585年7月8日

    徳島県鳴門市撫養町木津

    東条関兵衛

    LOSE

    和泉・大和・紀伊の兵3万余を率いた羽柴秀長は、堺から淡路洲本に上陸すると、明石から洲本へ向かった羽柴秀次隊と合流し、天正13年(1585年)長宗我部元親方の阿波木津城を攻撃した。

    木津城は元親の養女を娶り一門となっていた東条関兵衛が守るも、8日間後に水の手を断たれて落城した。

    関兵衛は脱出し土佐落ちたが、降伏を認めない元親によって敗戦の責を問われ、土佐浦戸城で自刃させられた。

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  • 脇城の戦いわきじょうのたたかい [羽柴秀吉の四国平定]

    1585年7月15日

    徳島県美馬市脇町

    木津城を落とした羽柴秀次は、中富川(吉野川)中流域を押さえる阿波脇城の攻略に向かい、黒田官兵衛堀秀政蜂須賀正勝日根野弘就前野長康らとともに包囲した。

    さらに秀次は、阿波白地城にいる長宗我部元親を牽制したが、結局元親からの後詰はなかった。

    脇城を守っていた元親の叔父にあたる長宗我部親吉は、水の手を断たれ、またすぐ近くの岩倉城が先に降伏したため降伏開城する。

    開城後、親吉は土佐に落ちる途中の貞光川の栂橋にて、先だって長宗我部氏に領土を奪われ逼塞していた土豪の小野寺吉家一党に襲撃され殺害された。

    小野寺氏を扇動したのは豊臣方の蜂須賀家政であるとされており、のちに蜂須賀氏は阿波一国が与えられ、小野寺氏は蜂須賀氏に登用されている。

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  • 岩倉城の戦いいわくらじょうのたたかい [羽柴秀吉の四国平定]

    1585年7月15日

    徳島県美馬市脇町岩倉

    比江山親興

    LOSE

    羽柴秀次は、脇城とともに阿波随一の要害として知られていた岩倉城の攻略に取りかかる。

    この岩倉城は、畿内にも勢威を誇っていた三好康長(笑岩)の属城だったもので、秀次康長の養子だったこともあるので、養父の旧城を奪還するという意味もあった。

    城将は元親の従兄弟の比江山親興(長宗我部掃部頭)で、兵の意気は軒昂であったので力攻めするのも謀略を仕掛けるのも難しい状況であった。

    そこで羽柴方の黒田官兵衛はまず水攻めを仕掛けた。

    近くの吉野川から水を引いて食糧を駄目にして水の補給を妨害し、その一方で城外に築かれた井楼から大砲を昼夜問わず散々に撃ちかけ、また兵たちに何度も関の声を上げさせる。

    岩倉城兵は戦意喪失し戦うことなく開城した。

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  • 小倉城の戦いこくらじょうのたたかい [豊臣秀吉の九州平定]

    1586年10月4日

    福岡県北九州市小倉北区城内

    小倉城

    小倉城

    豊前門司城に集結した毛利輝元ら毛利勢と軍奉行(軍事の総指揮者)の黒田官兵衛らは、吉川元春小早川隆景を中心に香春岳城主・高橋(秋月)元種の属城である豊前小倉城を攻撃する。

    元種は、永禄10年(1567年)の岩屋城・宝満城の戦いで大友宗麟に高橋氏の惣領職を奪われた高橋鑑種の養嗣子で、このときは島津氏に従っていた。

    毛利勢は、元種の実父である秋月種実に妨害されながらも10月4日に小倉城を落とす。

    城兵の命と引き換えに小倉城城代の小幡玄蕃は自刃し、一命を助けられた城兵は香春岳城に退去した。

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  • 宇留津城の戦いうるづじょうのたたかい [豊臣秀吉の九州平定]

    1586年11月7日

    福岡県築上郡築上町宇留津

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  • 香春岳城の戦いかわらだけじょうのたたかい [豊臣秀吉の九州平定]

    1586年11月20日 ~ 12月11日

    福岡県田川郡香春町

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  • 松尾城の戦いまつおじょうのたたかい [豊臣秀吉の九州平定]

    1587年3月29日

    宮崎県延岡市松山町

    島津勢を豊後から逐った豊臣勢の東九州方面軍は、総大将・羽柴秀長を中心として黒田孝高蜂須賀家政毛利輝元吉川元長小早川隆景ら9万余の兵で、豊後から日向に侵入していく。

    こうした動きに、それまで島津氏に従っていた日向の諸城も秀長に降ったが、日向松尾城(縣城)の土持久綱はに島津義久から「久」の字を賜っていたりと島津家への忠誠は高く依然として抵抗を続けていた。

    このため松尾城は包囲され、3月29日に久綱は降伏開城し、島津家久を頼って日向佐土原城に落ちていく。

    その後、秀吉は松尾城に豊前国香春岳城の当時17歳である高橋元種を入城させた。

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  • 柳川城の戦いやながわじょうのたたかい [九州の関ヶ原]

    1600年9月 ~ 10月25日

    福岡県柳川市本城町

    黒田如水加藤清正鍋島直茂らとともに、筑後柳川城の立花宗茂を包囲する。
    宗茂は、関ヶ原の戦いでは西軍に属して戦っており、島津氏とともに大坂を脱出して帰国したのち、居城の柳川城に籠城していた。
    柳川城の堅牢ぶりや宗茂の猛勇を知る3将は宗茂を説得し、10月25日降伏開城を受諾させた。
    その後宗茂は、一命を助けられたうえで改易されたが、のち再び大名に取り立てられ柳川藩10万石余の藩主となっている。

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  • 木付城の戦いきつきじょうのたたかい [九州の関ヶ原]

    1600年9月10日 ~ 12日

    大分県杵築市杵築

    岐部玄達

    吉弘七左右衛門

    柴田統生

    野原太郎右衛門

    LOSE

    有吉立行

    久野次左衛門

    曾我部五右衛門

    母里与三兵衛

    時枝平太夫

    野村市右衛門

    後藤太郎助

    WIN

    1600年、関ヶ原の戦いの際に、大友義統は西軍に属して再起を図ります。
    西軍の総大将である毛利輝元の支援を受けて長門下関から豊後立石に渡海した大友吉統は、木付城(杵築城)を攻撃する。

    この木付城は、丹後宮津城主・長岡(細川) 忠興の飛び地だったところで、忠興の家臣である松井康之・有吉立行を派遣して統治に当たらせており豊後において唯一の東軍方だった。

    豊後に上陸すると、1600年9月10日夜、吉弘統幸ら岐部玄達・吉弘七左右衛門・鉄炮頭の柴田統生、200騎が木付城を攻める。

    二の丸にいた野原太郎右衛門が大友勢に内通して城下に火が掛けられます。

    大友勢の攻撃を受けた松井康之・有吉立行らは、200余の兵とともに防戦に努める一方、豊前中津城の黒田如水(黒田官兵衛)に救援を安請する。

    9月9日に大友勢の立石布陣の報を受けた如水は杵築城支援の先遣隊(一番備:久野次左衛門・曾我部五右衛門・母里与三兵衛・時枝平太夫を頭に約千人。二番備:井上九郎右衛門・野村市右衛門・後藤太郎助を頭に約千人)を派遣し自らも追って出陣した。
    先遣隊は10日に赤根峠を越え、12日に木付に到着、如水の本隊を待てとの指示に従わずに13日の朝より鉄輪で合流した黒田先遣隊と杵築勢は石垣原へ兵を進めた。

    如水の本隊は先遣隊と同日の9日に中津城を出陣し、宇佐高森城(黒田孝利)・高田城(竹中重利)を経て10日に赤根峠を越えて国東に進出し富来城(垣見一直)を包囲した。
    当時旗幟を鮮明にしていなかった重利は、子の竹中重義に兵200人を付けて黒田軍に従軍させた。

    大友軍が杵築城を攻撃すると、黒田軍は攻撃予定であった富来城(垣見一直)を後回しにして、合戦のあった13日には頭成まで家臣の井上九郎兵衛・時枝平太夫を進出させた。
    黒田軍本隊は12日には安岐城を攻め、13日に打って出てきた熊谷直盛の軍を撃破し、杵築城の救援に向かった。

    松井康之・有吉立行らは、残すは本丸のみと言う所まで押し込まれましたが、松井康之が相原山に伏兵を置いて柴田統生を討取るなど反撃します。

    落城が迫ったとき、黒田官兵衛の援軍が着陣したため、大友勢は兵を退いた。

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  • 石垣原の戦いいしがきばるのたたかい [九州の関ヶ原]

    1600年9月13日

    大分県別府市北石垣・南石垣一帯

    有吉立行

    野村市右衛門

    WIN

    宗像鎮統

    田原親賢

    LOSE

    長岡(細川)忠興の属城の豊後木付城を攻めていた大友義統は、黒田如水(官兵衛)からの援軍が迫るのをみて兵を退いた。
    そこで、木付城を守っていた忠興の家臣である松井康之・有吉立行らは、黒田勢とともに木付城を出陣し、大友勢を討とうとした。

    9月13日、出撃した木付勢は実相寺山に布陣。
    黒田軍先遣隊の一番備は実相寺山と角殿山の間道を抜けて石垣原に布陣していた大友勢と昼頃から衝突し、木付勢も後に戦闘に加わった。

    この衝突で大友勢の吉弘統幸は打ち破られたと見せかけて立石本陣近くまで退き、追ってきた黒田一番備は伏せていた宗像鎮統の攻撃と統幸の反撃により、黒田勢の久野次左衛門・曾我部五右衛門が討死。

    今度は敗走する黒田勢を大友勢が実相寺近くまで追撃し、松井康之の陣に攻撃を掛けるが多勢と見て山麓の黒田軍の陣に矛先を変えてこれを圧倒した。
    ここに黒田勢の二番備の野村市右衛門・井上九郎右衛門と木付勢が救援に駆けつけ大友勢を破った。

    大友勢は吉弘統幸・宗像鎮統をはじめ500余が討ち取られ、14日には実相寺に到着した如水は首実検と軍議を行った。
    同日、義統は敗戦を知って自刃しようとしたが田原親賢に諌められる。
    義統は剃髪して法体となり、田原親賢を黒田軍の陣の母里友信(妻は宗麟娘)に派遣して如水に降伏し、石垣原の戦いは終了した。

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  • 富来城の戦いとみくじょうのたたかい [九州の関ヶ原]

    1600年9月23日

    大分県国東市国東町富来浦

    上原新左衛門

    WIN

    LOSE

    石垣原の戦いに勝利した黒田如水(官兵衛)は、勢いに乗じて国東半島の西軍方諸城の攻略に乗り出すと、9月23日から、豊後富来城を攻撃した。

    城主の垣見家純は美濃大垣城に入っていたため、城代垣見一直らが防戦に努めていた。

    城兵が500余だったにも関わらず10日間も籠城戦をするも、大垣城で主君の家純が討死したという報を受け開城した。
    如水は、家臣の上原新左衛門を城番として入れ、10月4日、自身は富来を出発して豊前中津に戻った。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬