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  • ● 1546年 北条氏康が上杉憲政、上杉朝定らを破る
  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
  • ● 1556年 斉藤道三が対立していた息子・義龍に敗れ討死
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  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
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三宅家義(みやけいえよし)は何をした人?黒田家の海上幕僚長!【黒田二十四騎】

三宅家義(みやけいえよし)は何をした人?黒田家の海上幕僚長!【黒田二十四騎】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回紹介するのは黒田二十四騎のうちの一人、三宅家義(みやけいえよし)です。

一体何をした人なんでしょうね。
それでは見ていきましょう!

目次[非表示]

黒田二十四騎

三宅家義は黒田二十四騎です。

黒田二十四騎(くろたにじゅうよんき)とは、賤ヶ岳の七本槍に倣い、 黒田長政の家臣の中から24人の精鋭を選出した呼称です。

通称は山太夫(さんだゆう)、藤十郎(とうじゅうろう)、若狭守。

生まれ

wikipediaでは、「摂津国三宅城主の家系に三宅次太夫の子として生まれ、天文22年(1553年)に三宅城が三好氏に攻められて落城すると、父と共に脱出した。それ以後は渡り奉公をしていたようであるが、明確なことは不明である。」と記載があるのですが、播州の三宅家出の説もあります。
後に仕える黒田家は播州播磨なので、播州の三宅家出かとも思いますが、 黒田官兵衛に仕えたのが28歳と遅いので、摂津説が正しいのでは無いかと思います。

天文16年(1547年)に生まれます。

黒田官兵衛に仕える

天正3年(1575年 三宅家義が28歳の頃)、 黒田官兵衛孝高に取り立てられ、300石を与えられます
1575年といえば、 黒田官兵衛孝高(当時、小寺性)が主君の 小寺政職を説き織田家に従属することを決め、使いとして岐阜に行きました。
その際、圧切を与えられています。

天正5年(1577年 三宅家義が30歳の頃)の第一次上月城の戦いで、支城の大の山城を囲んだ際、「自分に命じていただければ、あのような小城を落とすのは朝飯前」と発し、自身の発言通り一人で城に乗り込んで敵を降伏させた。
その後、 黒田官兵衛孝高によりその度胸を褒められて、通称を『孫子』の「動かざること山の如し」から採って「山太夫」と改める

士官されて2年で、大きい手柄を立てれて三宅家義も安堵しているでしょう。大型助っ人です。

1577年は織田家の 羽柴秀吉を姫路城に迎えています。

天正15年(1587年 三宅家義が40歳の頃)の 城井鎮房の反乱の際には、 鎮房へ降伏を勧める使者を4度にわたって務めました
城井家は兵站を断たれたため、嫡男の城井朝房と 鎮房の13歳になる娘の鶴姫を人質に出すことになりました。

この功績により、 黒田長政から清光の刀と1500石を与えられました。

文禄の役でも戦功を挙げたが、三宅家中の者が陣所で小屋を一軒焼く火災を起こしてしまい、それまでの功績から切腹は免れたものの、恩賞としての加増はされませんでした。

関ヶ原の戦いでは 如水に従って豊後で戦い活躍します。

筑前入国後、若松城の城主となる

関ヶ原の戦いの功績により、慶長6年(1601年 三宅家義が54歳の頃)黒田家が筑前に入国します。
筑前の東に位置する豊前には、 長政と仲の悪い 細川忠興がいるため、豊前との国境沿いに出城を6つ築きます(福岡六端城)。

福岡六端城は黒田六端城や筑前六端城とも呼ばれ、すべて本城である福岡城より東側に設けられ、麻底良城を除いてはすべて豊前国との国境に構えられています。

この福岡六端城の一つの若松城の城代として、三宅家義が3600石を拝領します

三宅家義は3600石のうち600石は与力4人に与え、また船頭・舵子(加子・水主)を多く抱え、禄高に比して配下は多勢でした。

順調に出世しています!

若松城は海に面している戸畑と若松の間に浮かぶ中島に築かれており、筑前領の表玄関に当たる北九州市若松~戸畑の洞海湾の開港口という海路において極めて重要な箇所に位置していました。

三宅家義は船手衆(水軍を指揮する指揮官)のひとりであったので、この海に面した城を任されたのですね。

若松や代官を務めた山鹿・芦屋といった土地は、数多くの大船を繋留することのできる天然の良港で、正保期において若松は約200艘、山鹿・芦屋は60~70艘の大船を繋留することが可能でした。

当時の若松城は、洞海湾に架かる若戸大橋の戸畑寄りの橋桁の下に見える岩礁の当たりにあったと言われています。
著者は若戸大橋を車で渡ったことがあります。その時は、若松城があったと知らなかったので、また行きたいと思います。

ちなみに若松城は幕末には砲台も設けられていたようであるが、明治14年の洞海湾修築工事の一環で島は削り取られ、完全に消滅しました。

現在も若松と戸畑との間に舟渡があり、江戸時代にはここに州口番所が設けられて人や品物の出入りを監視されていたようです。

中島は戸畑と若松を結ぶ若戸大橋付近にあったという。

その後、関東・関西を抑える水軍の長として、山鹿・芦屋の代官料1万石を預けられ、水軍を統括する船手頭にも任命されています。

「信長の野望 徹底攻略」の管理人Taka

taka

船手頭なので水軍の全ての指揮官ということですね。海上幕僚長!

三宅家義の晩年

慶長9年(1604年 三宅家義が57歳の頃)、黒田如水の死後、長政により「若狭守」の受領名を与えられました。

元和5年(1619年)10月16日死去。享年72。

まとめ

いかがでしたか?

黒田二十四騎はそれぞれ個性がありますよね。
三宅家義は船手衆のひとりで筑前の表玄関の若松城の城主となりました。水軍を任されたつまり今でいう海軍総司令官となったわけですね。
相当優秀だったんでしょうね。

他の黒田二十四騎の記事もありますので是非読んでください!
面白いです。

それでは、今後もマイナー武将列伝をアップしていくのでよろしくお願いします!

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬