今日は何の日?

  • ● 1546年 北条氏康が上杉憲政、上杉朝定らを破る
  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
  • ● 1556年 斉藤道三が対立していた息子・義龍に敗れ討死
  • ● 1546年 北条氏康が上杉憲政、上杉朝定らを破る
  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
  • ● 1556年 斉藤道三が対立していた息子・義龍に敗れ討死

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この人誰?

高梨頼親

豊臣秀吉の九州平定

1586年7月

島津義弘と黒田孝高

目次[非表示]

勝尾城の戦い(かつのおじょうのたたかい)

1586年7月8日 ~ 10日

佐賀県鳥栖市牛原町

筑紫晴門

LOSE

南九州を席巻した島津氏が筑前国への侵攻を開始した。

天正14年(1586年)7月、島津義久の弟・義弘は、自ら5万余の大軍を率いて筑前に侵攻し、前々年までは島津氏と連携していたが、侵攻の直前で大友氏に降っていた筑紫広門の居城である筑前勝尾城を攻撃する。

支城の鷹取城が落とされて弟の筑紫晴門が討ち取られ、1000余の兵で守っていたで勝尾城は島津忠長の攻撃を受けて6日に麓の総構えが破られ、10日に島津方の秋月種実の仲介で降伏開城した。

こののち大善寺に幽閉された広門は、島津勢が撤退すると幽閉先から脱出して豊臣秀吉によって筑後国上妻郡に18,000石の所領を与えられ。

岩屋城の戦い(いわやじょうのたたかい)

1586年7月14日 ~ 27日

福岡県太宰府市太宰府

岩屋城

岩屋城

宝満城の戦い(ほうまんじょうのたたかい)

1586年7月 ~ 8月6日

福岡県太宰府市内山

立花城の戦い(たちばなじょうのたたかい)

1586年8月18日 ~ 24日

福岡県糟屋郡新宮町立花ロ

立花城から見た福岡市

立花城から見た福岡市

高鳥居城の戦い(たかとりいじょうのたたかい)

1586年8月25日

福岡県糟屋郡須恵町

星野吉実

星野吉兼

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小倉城の戦い(こくらじょうのたたかい)

1586年10月4日

福岡県北九州市小倉北区城内

小倉城

小倉城

豊前門司城に集結した毛利輝元ら毛利勢と軍奉行(軍事の総指揮者)の黒田官兵衛らは、吉川元春小早川隆景を中心に香春岳城主・高橋(秋月)元種の属城である豊前小倉城を攻撃する。

元種は、永禄10年(1567年)の岩屋城・宝満城の戦いで大友宗麟に高橋氏の惣領職を奪われた高橋鑑種の養嗣子で、このときは島津氏に従っていた。

毛利勢は、元種の実父である秋月種実に妨害されながらも10月4日に小倉城を落とす。

城兵の命と引き換えに小倉城城代の小幡玄蕃は自刃し、一命を助けられた城兵は香春岳城に退去した。

栂牟礼城の戦い(とがむれじょうのたたかい)

1586年11月4日

大分県佐伯市堅田

島津義弘らが肥後から豊後に向かう一方で、島津家久らは日向から豊後へ進んだ。

家久らは豊後の松尾城と小牧城を抜いて、10月23日には家久は松尾山(豊後大野市三重町)に本陣を構え、佐伯の栂牟礼城(佐伯市弥生)に降伏を勧める使者を送った。

当時18歳の栂牟礼城主の佐伯惟定は、使者を番匠河原で討ち果たし、降伏拒否の意思を表明。

この惟定は、高城河原の戦いで奮戦しながらも討死にした佐伯惟教の孫だったので島津に相当の恨みがあったようだ。

使者を打ち果たされたことに怒った家久は、直ちに栂牟礼城攻撃の軍勢を差し向けたが、佐伯勢の巧みな戦いによる反撃を受け、堅田、因尾で大敗する。

その後、惟定は各地でゲリラ戦を展開し、岡城の志賀親次とともに島津軍の背後をおびやかした。

結局、島津軍は栂牟礼城を遥か彼方から眺めるだけで引き返し、2度と攻めて来ることはなかった。

なお惟定は、翌天正15年の梓越の戦いでも、島津勢を破っている。

宇留津城の戦い(うるづじょうのたたかい)

1586年11月7日

福岡県築上郡築上町宇留津

香春岳城の戦い(かわらだけじょうのたたかい)

1586年11月20日 ~ 12月11日

福岡県田川郡香春町

鶴賀城の戦い(つるがじょうのたたかい)

1586年11月25日 ~ 12月11日

大分県大分市上戸次

LOSE

利光宗魚

WIN

戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい)

1586年12月12日 ~ 13日

大分県大分市上戸次・中戸次一帯

大友館の戦い(おおともやかたのたたかい)

1586年12月13日

大分県大分市顕徳町

戸次川の戦いで豊臣秀吉から派遣された仙石秀久長宗我部元親十河存保らを破った島津家久は、勢いに乗じてすぐさま豊後府内の大友館と丹生島城攻めに向かう。

そしてその日のうちに大友館を攻撃した。

このとき大友館は、大友宗麟の子で家督を継いでいた義統が守っていた。
しかし宗麟義統への忠誠心を失っていた家臣達は相次いで離反していたため府内での防戦を諦めた義統は、豊後高崎城に退きさらに豊前龍王城に落ちていった。

大友館は、島津家久に占拠された。

丹生島城の戦い(にゅうじまじょうのたたかい)

1586年12月13日

大分県臼杵市臼杵

豊後府内の大友館を攻略した島津家久は、2000余の兵をすぐに大友義統の父である大友宗麟が隠居していた丹生島城(臼杵城)に向かわせた。

丹生島城は草履型の丹生島にある城で干潮時にだけ対岸と陸続きとなる城だったので、干潮時か水軍がないと攻められない城であった。

臼杵に侵入した島津勢は、城下を焼き払うなどして城に迫ったが、宗麟は「国崩」と名づけたポルトガルから購入した大砲で反撃する。

府内から大友義統を逐ったことで、島津勢は当初の目的を達したのか、家久は丹生島城の攻略を諦めて兵を退かせた。

梓越の戦い(あずさごえのたたかい)

1587年3月18日

大分県佐伯市宇目

天正15年(1587年)3月、羽柴秀長を大将とする豊臣勢が九州に上陸し小倉に到着すると大友義統らとともに豊後奪還に向けて南下を始めた。

そのため豊後府内を拠点としていた島津義弘島津家久は、豊臣勢との衝突を避け、日向に撤退することにした。

これを好機ととらえた栂牟礼城主・佐伯惟定と岡城主・志賀親次らは、撤退する島津勢に攻撃を仕掛けたのである。

3月17日、佐伯・志賀勢は、豊後と日向の国境に位置する梓越まで撤退する島津勢を追撃した。

松尾城の戦い(まつおじょうのたたかい)

1587年3月29日

宮崎県延岡市松山町

島津勢を豊後から逐った豊臣勢の東九州方面軍は、総大将・羽柴秀長を中心として黒田孝高蜂須賀家政毛利輝元吉川元長小早川隆景ら9万余の兵で、豊後から日向に侵入していく。

こうした動きに、それまで島津氏に従っていた日向の諸城も秀長に降ったが、日向松尾城(縣城)の土持久綱はに島津義久から「久」の字を賜っていたりと島津家への忠誠は高く依然として抵抗を続けていた。

このため松尾城は包囲され、3月29日に久綱は降伏開城し、島津家久を頼って日向佐土原城に落ちていく。

その後、秀吉は松尾城に豊前国香春岳城の当時17歳である高橋元種を入城させた。

岩石城の戦い(がんじゃくじょうのたたかい)

1587年4月1日

福岡県田川郡添田町

WIN

熊井久重

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天正15年(1587年)3月28日、豊臣秀吉は関門海峡を渡ってついに九州に上陸した。

この日のうちに豊前小城城に入った秀吉は、29日に馬ヶ岳城に移り、ここを本陣として筑前古処山城主・秋月種実の属城である岩石城を攻撃した。

天険の要害で秋月家の属城で最も堅牢な岩石城を守る熊井越中守久重ら3000の兵は防戦に努めたものの、羽柴秀勝を大将とする蒲生氏郷前田利勝(利長)らの猛攻を受け、わずか1日で落城し熊井久重は討死している。

古処山城の戦い(こしょさんじょうのたたかい)

1587年4月2日 ~ 3日

福岡県朝倉市秋月野鳥

古処山城

古処山城

高城の戦い(たかじょうのたたかい)

1587年4月6日 ~ 29日

宮崎県児湯郡木城町高城

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬