今日は何の日?

  • ● 1557年 毛利元就が周防を平定
  • ● 1574年 織田信長が朝廷より名香木の蘭奢待を拝領する
  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見
  • ● 1557年 毛利元就が周防を平定
  • ● 1574年 織田信長が朝廷より名香木の蘭奢待を拝領する
  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見

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この人誰?

細川忠興

武将名鑑【信長の野望 新生】

武将名鑑アイコン

前野長康(まえのながやす)

前野長康 の能力値
統率

出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。

60 (814 位)
武勇

出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、
城の攻撃力に影響する。

63 (658 位)
知略

出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、
また戦法のダメージに影響する。

65 (649 位)
政務

城の収入に影響する。

34 (1986 位)
合計 222 (994 位)2201人中
前野長康のグラフィック画像
前野長康 の基礎データ
性別
別名 坪内光景 但馬守辨慶
幼名 喜太郎 小太郎
仮名・通称 小太郎 小右衛門 将右衛門 將右衛門 勝右衛門 庄右衛門 駒右衛門
法号・戒名 五宗 五十 五斎 義道空心大禅定門
前野宗康
養父 坪内勝定
妙善(小坂吉俊の娘)
配偶者・正室 坪内勝定の娘
その他のデータ 列伝
誕生年 1528年 豊臣家臣。蜂須賀正勝とともに墨俣一夜城の築城に協力し、以後、秀吉の片腕として活躍、但馬出石5万石を領した。のちに豊臣秀次事件に連座し、自害した。
死亡年 1595年
主義

革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。
また、政策の発令条件になっている。

革新
特性

武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。

一所懸命 同一城に属す全郡で領内行動の集落掌握速度が上昇
戦法

合戦で使える特殊な技。
部隊を強化したり、ダメージを与えたり、
様々な効果を得られる。

激励 自部隊の攻撃上昇
シナリオ
年月 シナリオ 年齢
1546年1月 信長元服 19
1553年4月 尾張統一 26
1560年4月 桶狭間の戦い 33
1570年4月 信長包囲網 43
1582年5月 夢幻の如く 55

前野長康が登場する合戦

  • 鎌刃城の戦いかまはじょうのたたかい [織田信長の越前・北近江平定]

    1571年5月6日

    滋賀県米原市番場

    浅井井規

    LOSE

    WIN

    元亀2年(1571年)5月6日小谷城を打って出た浅井長政は、織田方の木下秀吉が守る横山城近くに布陣すると、家臣の浅井井規に命じ、織田方に寝返った堀秀村の守る箕浦城とその家老である樋口直房の守る鎌刃城を攻めさせた。

    兵力は本願寺法主・顕如の檄を受けて信長を共通の敵とする江北の一向一揆勢も加えて約5000人であった。

    横山城の南方7kmほどに位置する鎌刃城は、横山城の背後を固める織田方の重要な拠点であったが、浅井勢の本隊に横山城を牽制されているため救援のために割く兵力は限られていた。

    秀吉蜂須賀政勝前野長康らと共に130の手勢を率いて鎌刃城の救援に赴く。

    鎌刃城の救援に成功すると、鎌刃城の城兵とともに箕浦に向かった。

    その後樋口直房は横山城を任され、織田家にかなりの重きに扱われることになる。

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  • 箕浦の戦いみのうらのたたかい [織田信長の越前・北近江平定]

    1571年5月6日

    滋賀県米原氏箕浦

    鎌刃城の救援に成功した木下秀吉は、堀秀村とその家老の樋口直房らとともに、箕浦におかれていた浅井方の陣を襲撃する。

    浅井方が湖北一向一揆の加勢を得て5000余の大軍を擁していたのに対し、横山城に主力をおいてきた織田方は鎌刃城の兵と合わせても500余だったという。

    しかし果敢に浅井井規隊を切り崩し、ついに浅井勢を敗走させた。

    琵琶湖の湖岸伝いで逃れた浅井井規隊は八幡の辺りで一旦は持ちこたえて反撃を試みたが、秀吉隊の猛追に再び崩れ、小谷城に逃ちていった。

    この間、浅井勢の襲撃をうけた横山城は竹中重治(半兵衛)加藤光泰羽柴秀長らが防いでいた。

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  • 脇城の戦いわきじょうのたたかい [羽柴秀吉の四国平定]

    1585年7月15日

    徳島県美馬市脇町

    木津城を落とした羽柴秀次は、中富川(吉野川)中流域を押さえる阿波脇城の攻略に向かい、黒田官兵衛堀秀政蜂須賀正勝日根野弘就前野長康らとともに包囲した。

    さらに秀次は、阿波白地城にいる長宗我部元親を牽制したが、結局元親からの後詰はなかった。

    脇城を守っていた元親の叔父にあたる長宗我部親吉は、水の手を断たれ、またすぐ近くの岩倉城が先に降伏したため降伏開城する。

    開城後、親吉は土佐に落ちる途中の貞光川の栂橋にて、先だって長宗我部氏に領土を奪われ逼塞していた土豪の小野寺吉家一党に襲撃され殺害された。

    小野寺氏を扇動したのは豊臣方の蜂須賀家政であるとされており、のちに蜂須賀氏は阿波一国が与えられ、小野寺氏は蜂須賀氏に登用されている。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬