今日は何の日?

  • ● 1573年 将軍・足利義昭が挙兵を画策し、兵糧米を毛利輝元に依頼
  • ● 1579年 竹中半兵衛が三木城攻めの陣中で没す。享年36歳
  • ● 1582年 山﨑の戦い
  • ● 1573年 将軍・足利義昭が挙兵を画策し、兵糧米を毛利輝元に依頼
  • ● 1579年 竹中半兵衛が三木城攻めの陣中で没す。享年36歳
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福原資保

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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三淵光行(みつぶちみつゆき)

三淵光行 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

67 (478 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

61 (757 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

67 (553 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

46 (1528 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

56 (997 位)
合計 297 (727 位)2201人中
三淵光行のグラフィック画像
三淵光行 の基礎データ
性別
三淵藤英(細川藤孝の異母兄)
配偶者・正室 慶寿院(郡宗保の四女)
その他のデータ 列伝
誕生年 1571年 細川藤孝の甥。父・藤英の自害後、藤孝に養育される。関ヶ原合戦に際し、丹後田辺城に籠もり、西軍と戦う。功績を徳川家康に賞され、近江に所領を得た。
死亡年 1623年
気質 家名
野心 4
所領拡大 しょりょうかくだい
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 臥薪嘗胆 消費ゲージ 5
効果 周囲の味方の防御力を小上昇
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 本陣斬込
読み ほんじんきりこみ
条件 海(湖)以外
消費軍議 25 必要部隊 2
効果 斬込隊の速度と攻撃と防御が大上昇し、敵本陣に向け強制移動
補佐
伏兵 開戦時に潜伏状態になり、敵と接触したら必ず奇襲をし効果終了

三淵光行が登場する合戦

  • 田辺城の戦いたなべじょうのたたかい [関ヶ原の戦い]

    1600年7月19日 ~ 9月18日

    京都府舞鶴市北田辺

    前田茂勝

    藤掛永勝

    川勝秀氏

    長谷川宗仁

    赤松左兵衛佐

    山名主殿頭

    早川長敏

    WIN

    LOSE

    田辺城(舞鶴城)

    田辺城(舞鶴城)

    慶長5年(1600年)6月16日に家康と対立して佐和山に蟄居していた石田三成は、畿内一帯が軍事的な空白地域になったことを好機と見て、大坂城に入り家康を討伐するために兵を挙げた。

    石田三成は大坂城下にいる東軍方の大名の妻子を人質として取り込もうとしたが、その際、長岡(細川)忠興の正室であるガラシャが自死し、失敗に終わった。

    その後、西軍は畿内近国の家康側諸勢力を制圧することに取り組んだ。

    その中には丹後田辺城も含まれており、丹波福知山城主の小野木重次や亀岡城主の前田茂勝、織田信包小出吉政杉原長房谷衛友・藤掛永勝・川勝秀氏・長谷川宗仁・赤松左兵衛佐・山名主殿頭ら丹波・但馬の諸大名と、中川秀成毛利高政・早川長敏・木下延俊竹中重利ら豊後の諸大名も加わり、1万5000の兵力で田辺城を包囲した。

    田辺城を守る側は、忠興が殆どの兵を連れて出ていたため、忠興の実弟の細川幸隆と父の幽斎、さらに幽斎の甥である三淵光行が率いる500人ほどしかいなかった。

    幸隆と幽斎らは抵抗するも、兵力の差が大きく、援軍の見込みもないため、月末には田辺城は落城寸前となった。

    しかし、攻撃側には幽斎を文化人として尊敬する者も多く、積極的な攻撃ができていなかった。

    幽斎は当時三条西実枝から古今伝授を受けており、幽斎の弟子である八条宮智仁親王やその兄の後陽成天皇らも、幽斎の討死と古今伝授の断絶を恐れていた。

    そのような状況下でついに天皇は、幽斎の弟子である三条西実条と中院通勝、中将烏丸光広を勅使として派遣し、講和を命じた。

    勅命を受けた幸隆と幽斎は、9月13日に田辺城を明け渡し、敵将前田茂勝の居城である丹波亀山城に移ることとなった。

    この戦いは西軍の勝利となったが、丹波・但馬の西軍1万5000は田辺城に釘付けにされ、関ヶ原の本戦が行われる9月15日までに間に合わず、西軍の展開に大きな影響を及ぼした。

    また、幽斎の抵抗を通して家康の統治権代行の正当性が広く周知されることは、石田三成にとって大きな痛手となった。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬