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  • ● 1583年 羽柴(豊臣)秀吉が柴田勝家の籠る越前北ノ庄城を包囲する
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この人誰?

進藤賢盛

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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織田信忠(おだのぶただ)

織田信忠 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

81 (106 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

74 (247 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

72 (352 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

70 (362 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

67 (468 位)
合計 364 (179 位)2201人中
織田信忠のグラフィック画像
織田信忠 の基礎データ
性別
別名 信重
幼名 奇妙丸
仮名・通称 勘九郎 三位中将 岐阜中将
法号・戒名 大雲院三品羽林仙巖大禅定門 景徳院 光勝院殿贈三品羽林郎悦巌大禅定門
織田信長
久庵慶珠
養母 帰蝶
配偶者・正室 なし(武田信玄の娘)
側室1 鈴他(塩川長満の娘)
織田信忠の自画像
その他のデータ 列伝
誕生年 1557年 信長の嫡男。松永久秀の謀叛鎮圧や甲斐平定戦などで功を立てた。信長から家督を譲られ、美濃・尾張の2国を領する。本能寺の変の際、二条御所で自害した。
死亡年 1582年
気質 勲功
野心 6
天下統一 てんかとういつ
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 挟撃巧者 消費ゲージ 2
効果 自身の強撃したときの士気減少効果を小上昇
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 神出鬼没
読み しんしゅつきぼつ
条件 山、森、湿地、川、商圏
消費軍議 40 必要部隊 3
効果 強襲隊の速度が小上昇、奇襲時戦法ゲージが増加し敵の兵数と士気を低下
補佐
疾走 味方の作戦効果中に移動速度を小上昇

織田信忠が登場する合戦

  • 明智城の戦いあけちじょうのたたかい [武田信玄・勝頼の遠江・三河信仰]

    1574年2月5日

    岐阜県恵那市明智町

    遠山一行

    遠山友治

    LOSE

    天正2年(1574年)2月、武田勝頼織田信長を圧迫するため東濃に15000余の軍勢で出陣し、遠山氏の重要な拠点であった明智城を攻撃する。

    このころ明智城は、元亀3年 (1572年) の上村の戦いで城主の遠山景行とその子の景玄が敗死していたため、景玄の子の遠山一行と叔父の遠山友治ら500の兵が守っていた。

    明智城の重要性を理解していた織田信長は、2月5日に嫡男の信忠明智光秀や美濃の諸将(池田・蜂屋・河尻・森・塚本)など尾張・美濃の軍勢3万の兵を率いて出陣したが、武田方の信長の周囲を固めた16騎のうち9騎が打ち取られ、7騎が逃げ出すなど、信長を瀬戸際まで追い詰める場面もあったという。

    織田軍は明智城を赴援できず、明智城の開城をみて2月24日に岐阜に帰陣した。

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  • 孝子峠の戦いきょうしとうげのたたかい [織田信長の紀伊平定]

    1577年2月22日

    大阪府泉南郡岬町

    天正五年(1577年)2月22日、志立に到着した織田軍は、海側を行く浜手と内陸を行く山方の2手に軍勢を分け、進撃していった。

    浜手を進む織田勢には、織田信長の子である織田信忠北畠 (織田) 信雄神戸(織田)信孝のほか、明智光秀滝川一益丹羽長秀長岡 (細川)藤孝筒井順慶らが主力として加わり、和泉山脈を横切る孝子峠に向かう。

    この孝子峠は、和泉と紀伊との国境に位置している重要な地点であったため、雑賀衆はここで織田勢を迎え撃とうとしたのである。

    しかし織田勢の主力に撃破された雑賀衆は退き、その勢いに乗った織田勢は峠を下って中野城に向かった。

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  • 中野城の戦いなかのじょうのたたかい [織田信長の紀伊平定]

    1577年2月22日 ~ 28日

    和歌山県和歌山市中野

    雑賀衆

    LOSE

    孝子峠を突破した織田勢は、紀伊に侵入して雑賀衆の拠る紀伊中野城を包囲した。

    弥勒寺山城に本陣をおいた雑賀衆は、和泉との国境に近いこの中野城を前線基地とし周囲に城砦を築いて織田勢を迎え撃とうとしていたのである。

    水運の便に恵まれた中野城は、戦略物資の輸送には適していたが、2月22日に織田勢の大軍の前に降伏した。

    中野城を奪取した織田勢が、ここを前線基地として雑賀の本陣の雑賀城に迫ることになる。

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  • 信貴山城の戦いしぎさんじょうのたたかい [松永久秀の謀反]

    1577年10月5日 ~ 10日

    奈良県生駒郡平群町信貴山

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  • 本願寺の戦いほんがんじのたたかい [石山合戦]

    1578年4月5日 ~ 6日

    大阪府大阪市中央区大阪城

    DRAW

    本願寺

    DRAW

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  • 神吉城の戦いかんきじょうのたたかい [織田信長の播磨・但馬平定]

    1578年6月27日 ~ 7月20日

    兵庫県加古川市東神吉町


    天正6年(1578年)4月、三木城攻めが中断に追い込まれると、織田信長は嫡男の織田信忠(すでに家督を譲られており織田家当主であった)を総大将とする援軍を播磨に送り込みます。
    織田軍には明智光秀滝川一益佐久間信盛など名だたる武将がいたようです。

    6月27日、信忠は三木城の最も有力な支城である神吉城を包囲します。
    織田軍3万に対し神吉城はおよそ2,000ほどの寡兵でした。

    7月15日に織田軍が総攻撃を始めます。

    7月20日、しばらく耐えるも近親者の内通であえなく神吉城は落城し城主・神吉頼定が討死します。
    これにより三木城は、瀬戸内海からの糧道を断たれることになったのである。

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  • 大島城の戦いおおしまじょうのたたかい [織田信長の甲斐・信濃平定]

    1582年2月17日

    長野県下伊那郡松川町元大島

    日向宗栄

    LOSE

    織田信忠を大将とする織田勢は、2月14日に飯田城を落とすと、17日には、上伊那における武田方の拠点であった信濃大島城に迫る。
    大島城には武田信玄の弟である武田信廉らが入って守っていたが、信廉は大した抵抗もすることなく大島城を放棄して甲斐へ退却した。

    大島城の城将・日向宗栄(是吉)は自刃した。
    信忠は大島城に河尻秀隆毛利秀頼を入れると、自身は軍を進め、飯島に着陣した。

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  • 高遠城の戦いたかとおじょうのたたかい [織田信長の甲斐・信濃平定]

    1582年3月2日

    長野県伊那市高遠町東高遠

    伊那から侵入した織田信忠の軍勢に対し、もともと武田氏に服属を余儀なくされていた信濃の国衆は抗戦しなかった。

    しかし武田勝頼の実弟である仁科盛信だけは、居城の信濃高遠城にて織田勢を迎え撃とうとしていた。

    織田信長から「援軍を派遣するから待機せよ」との指示が出ていたにもかかわらず、織田信忠はこれを無視して2月23日より約30,000の兵で高遠城の包囲を始めた。

    高遠城主は援軍が期待できない中、約500人の手勢で迎え撃つ。

    まず信忠は他の武田方の城を落としたように、黄金と書状を送って降伏勧告を行うものの、仁科盛信は使者の耳を削いで追い払った。
    これを受けて3月2日に織田軍は総攻撃を開始。

    東西南北の各門をいっせいにこじ開け、一気に本丸へと迫った。

    高遠城はその日のうちに落城し、仁科盛信は自刃、城兵400余がことごとく討死し全員玉砕したという。

    戦後、領民達は仁科盛信の戦いぶりを讃えて「新城神」として崇拝したという。
    現在も長野県歌「信濃の国」の歌詞にうたわれるなど、広く愛されている。

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  • 二条御所の戦いにじょうごしょのたたかい [本能寺の変]

    1582年6月2日

    京都府京都市中京区金吹町

    二条城

    二条城

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬