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長船定行(おさふねさだゆき)とは?宇喜多三老である父の貞親を支えた漢【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、宇喜多氏の家臣である長船定行(おさふねさだゆき)です。宣行・吉兵衛尉とも。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
長船定行の一生
長船定行は、宇喜多氏の家臣である長船貞親の次男として生まれます。
生年は不明ですが、ゲーム信長の野望では1560年と設定されています。
父の長船貞親は戸川秀安や岡家利と並んで宇喜多直家の創業に貢献した宇喜多三老のひとりでした。
兄・綱直が慶長3年(1598年)に病死する(毒殺説もある)と、家督を継いで24,000石を領した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは主君の宇喜多秀家に従い活躍したが、戦後は行方不明となった。
信長の野望での長船定行
ゲーム信長の野望での長船定行のパラメーターを見てみましょう。
統率 43 (1673 位)
武勇 37 (1929 位)
知略 59 (973 位)
内政 48 (1426 位)
外政 52 (1216 位)
合計 239 (1647 位)
2200人中の順位です。
父の長船貞親は宇喜多三老のひとりで、卓越した政治手腕があったので政治パラメーターが高いですが、長船定行は残念ながらあまり活躍した資料が残っていないのでパラメーターが並み以下に設定されてしまっています。
実際は優秀な人だったのでしょうね。
まとめ
いかがでしたか?
宇喜多三老のひとり長船貞親の子である長船定行は、兄の綱直が病死すると家督を引き継ぎました。
父・貞親が、天神山城の戦いや上月城の戦いに参陣しているので、もしかしたら定行も参陣していたことでしょう。天神山城の戦いが14歳くらいなので初陣でとかありそうです。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。