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戦国武将たちのセックス事情はどんなだった?【戦国時代の暮らし】

戦国武将たちのセックス事情はどんなだった?【戦国時代の暮らし】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回は男ならみんな気になる戦国武将のセックス事情について書いていこうと思います。
良い子は見てはいけません。ブラウザを閉じてください。

それでは行ってみよう。

目次[非表示]

戦国時代には出陣前の3日前は、妻相手といえどもセックスは一切禁止であった。

これは、セックスが戦場でのパフォーマンスや士気に影響するからというのではなく、女性を穢れたものとする迷信によるものだった。
特に妊娠中や産後30日以内の女性は、セックスどころか、武士の戦衣に触れることもタブーとされていた。

汚れがつき、運気が落ちることを嫌ったためである。

その代わり、出陣後のセックスについてはあまりうるさく言われなかった。
合戦の場には、たいてい「御陣女郎」と呼ばれる売春婦が用意されていた。

集団で武士団の後をついて来て、米や酒との交換で遊び相手となった。

ただしいつも御陣女郎」がいるわけではない。

山中深く分け入り、目にするのはキツネや狸ばかりという時には、密かに持ち歩いている春画を取り出し、自分で慰める武士もいたという。

また、当時のセックスの基本はまさに”一触即発”。

特に戦陣ではいつ敵が襲ってくるかわからず、ささっとすませるのが常識だった。

戦国武将はなぜ両刀使いだったのか?

もちろん刀を二つ操って戦うというような話ではなく「男色」の話です。
戦国武将のほとんどが小姓をそばに置き、寵童(ちょうどう)として愛したのだ。

有名な寵童には、織田信長の森蘭丸、上杉謙信の上村伊勢松、大内義隆の陶隆房などがいる。
彼らは武将の秘書や小間使いのような仕事をするだけでなく夜は男色の相手もしたのだ。

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戦国武将のほとんどは、妻や側室とも交わり、男色もこなすという両刀使いだったのだ。
戦国武将のうち、寵童を置かず、女色一色だったのは豊臣秀吉くらいのものだった。

戦国武将が寵童を置いた最も大きな理由は、それが当時の上流社会では常識だったからだ。

男色は、もともと女性が入れない寺院から流行りはじめ、いつしか武士の世界にも入ってきた。
合戦が始まった時、戦場に女性を連れていくわけにはいかない。
一方、少年ならいざという時戦闘要員にもなるので手軽に欲望を満たすには、便利な存在だったのである。

さらに、女性には生理があるため、血の穢れのイメージがつきまとい、神聖な戦場をけがすとも見られていた。
それもあり、もっぱら寵童が武士の相手を努めて、それが平時にも及ぶようになったのである。

戦国時代の売春はどのように行われたのか?

戦国時代には、各地に城下町が栄えるようになった。
人々が集まると、次第に売春婦の数も増えていく。

戦国時代の売春婦はそのビジネススタイルによって違った名前で呼ばれていた。

立ち君

街角に立って商売をしていた女性は「立ち君」。たいてい二人一組で客を待ち、笠をかぶった女が客と交渉し、ベールをかぶって顔を隠した女を紹介する。
顔を見せてビジネスが成立すると、客と二人でどこぞへと姿を消した。

辻君

また、路地で商売していたのが「辻君」。といっても、路地でぶらぶらしていたわけではなく、一応、粗末な店を構えていた。
売春宿の走りとも言える。

比丘尼

一見、尼を装いながら売春をしていたのが「比丘尼(びくに)」。僧院内で相手をすれば、出張サービスにも応じていた。
戦陣にも、戦死者の弔いを装って潜入し、武士たちの相手をすることがあった。

御陣女郎

また、「御陣女郎」は、もとは戦場で討ち取った首に首化粧を施すのが仕事だったが、次第に戦陣で売春するようになっていった。

まとめ

いかがでした?

現代では男色はどちらかというと異端ですが、当時では常識だったんですね。

穢れがあるので女性を戦場には連れていくわけにはいかないと言いつつバンバン連れていっているじゃないかと突っ込みたくなりました。
死に直面すると性的欲求が強くなるので、本能なのでしょうがないのでしょう。

それでは、今後も戦国時代の暮らしの記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。

参考
ここが一番おもしろい!戦国時代の舞台裏

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
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阿波
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伊予
土佐
筑前
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豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
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