今日は何の日?

  • ● 1548年 今川軍が第一次小豆坂の戦いで織田信秀を撃破する
  • ● 1574年 羽柴(豊臣)秀吉が近江長浜の領民に田地を開墾した者に土地を与えるとの御触書を出す
  • ● 1548年 今川軍が第一次小豆坂の戦いで織田信秀を撃破する
  • ● 1574年 羽柴(豊臣)秀吉が近江長浜の領民に田地を開墾した者に土地を与えるとの御触書を出す

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この人誰?

木下秀長

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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本城常光(ほんじょうつねみつ)

本城常光 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

72 (298 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

80 (123 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

78 (178 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

29 (2107 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

33 (2022 位)
合計 292 (790 位)2201人中
本城常光のグラフィック画像
本城常光 の基礎データ
性別
別名 本庄経光
本城清光
その他のデータ 列伝
誕生年 1513年 尼子家臣。山吹城主を務め、大森銀山を守る。毛利元就吉川元春の攻撃を撃退し、勇名を馳せた。のち元就に降伏するが、その豪勇を恐れた元就に殺された。
死亡年 1562年
気質 実利
野心 8
所領拡大 しょりょうかくだい
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 早駆け 消費ゲージ 2
効果 自身の移動速度を小上昇(軍馬装備時効果大)
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 本陣斬込
読み ほんじんきりこみ
条件 海(湖)以外
消費軍議 25 必要部隊 2
効果 斬込隊の速度と攻撃と防御が大上昇し、敵本陣に向け強制移動
補佐
猛攻 味方の作戦効果中に攻撃力を小上昇

本城常光が登場する合戦

  • 赤穴城の戦いあかなじょうのたたかい [大内義興・義隆の興亡]

    1542年4月 ~ 7月27日

    島根県飯石郡飯南町

    天文9年(1540年)8月、尼子晴久(詮人)は、毛利元就の拠る安芸国郡山城を攻略するため出陣したが、大内義隆から派遣された陶晴賢の率いる援軍もあり敗北してしまった(郡山城の戦い)。

    この敗北により、尼子方は多くの将兵を失い、尼子氏に従っていた国人領主らの多くが大内方へ離反した。

    天文11年(1542年)正月11日、大内義隆はこの勢いに乗じて、ついに尼子氏を討つため出雲攻めの兵を興す。

    義隆は嫡子・大内晴持や陶晴賢杉重矩内藤興盛ら直属の1万5000余の軍勢を率いて山口の築山館を出陣する。

    安芸国を経由して、安芸国の毛利元就宍戸隆家平賀隆宗 吉川興経小早川正平天野興定熊谷信直らの軍勢と、備後国の三吉広隆山名(杉原)理興多賀山通続山内隆通らの将兵と合流し、3月には石見国でも本城常光益田藤兼らの軍勢をも糾合し、総勢4万余の大軍に膨れ上がった。

    4月、出雲・石見・ 備後と境を接し、尼子十旗のひとつである赤穴城に攻撃を開始する。

    赤穴城は堅固な要害を備えていたことに加えて月山富田城からの援兵を得て兵力も増強させていたため、4万の軍勢の攻撃でも落ちる気配がなかった。

    しかし、7月27日、城主の赤穴光清が不運にも流れ矢に当たって討死したため、城兵は光清の妻子の助命を条件として降伏した。

    城兵3000余は、尼子氏の本城である出雲富田城に落ちていった。

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  • 第一次月山富田城の戦いだいいちじがっさんとだじょうのたたかい [大内義興・義隆の興亡]

    1543年3月 ~ 5月7日

    島根県安来市広瀬町富田

    赤穴城を落とした大内義隆は勢いに乗じ、天文12年(1543年)3月、尼子晴久の居城である出雲の月山富田城に攻撃を開始する。

    大内軍は義隆自らが総大将となり、陶隆房杉重矩内藤興盛冷泉隆豊弘中隆包らが兵を率いていた。

    また、義隆の養嗣子の大内晴持も併せて出陣していた。

    毛利軍も毛利元就小早川正平益田藤兼ら安芸・周防・石見の国人衆を集めて大内軍に合流した。

    しかし、糧道にて尼子軍のゲリラ戦術を受け兵站の補給に失敗したり、出陣して1年を過ぎていた大勢の士気は下がっていたり、城攻めは難航する。

    そして4月末には、尼子方から大内方に鞍替えして参陣していた三刀屋久扶三沢為清本城常光吉川興経などの国人衆が再び尼子方に寝返った。

    城を攻めると見せかけて堂々と城門から尼子軍に合流していったと言われる。

    5月7日、劣勢が明白となった大内軍は撤退を開始し、出雲意宇郡出雲浦へ退いた。

    尼子軍の追撃は激しく、大内家臣の福島源三郎親弘・右田弥四郎たちが防ぎ戦死している。

    このとき、義隆と晴持は別々のルートで周防まで退却を図った。

    義隆は宍道湖南岸の陸路を通り、石見路を経由して5月25日に山口に帰還する。

    しかし、中海から海路で退却しようとした晴持は、船が事故で転覆したため溺死した。

    殿を命じられていた毛利軍は、沼田小早川正平らが討死するなど過酷を強いられながら安芸への撤退を続けるも、石見の山吹城から繰り出された尼子軍の追撃によって、石見国の大江坂七曲りで元就と嫡子の隆元は自害を覚悟するまでに追い詰められたとされる。

    この時、毛利家臣の渡辺通元就の甲冑を着て身代わりとなり、内藤九郎右衛門元茂・波多野源兵衛・井上与三右衛門元有・井上源左衛門・三戸与五郎・三戸小三郎ら7人が囮役となり追撃軍を引き連れて奮戦した後に討ち死にした。

    現在この毛利元就が九死に一生を得た場所は、七騎坂(島根県大田市温泉津町小浜)と呼ばれている。

    吉田郡山城に無事帰還した元就は、渡辺通の献身に感動し、の子・渡辺長を股肱の臣として重用している。

    寵愛していた大内晴持が船の転覆により溺死したことで、義隆はそれ以降政治に対する意欲がなくなり、一方で尼子氏は晴久のもとで勢力を回復させ最盛期を迎える。

    この遠征は1年4ヶ月にも及んだ挙句敗戦し、大内氏衰退の一因となった。

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  • 山吹城の戦いやまぶきじょうのたたかい [毛利元就の石見・出雲平定]

    1558年9月3日

    島根県大田市大森町

    湯惟宗

    WIN

    刺賀長信

    高畠遠言

    LOSE

    温湯城の救援に失敗した尼子晴久は、2万5千の大軍で毛利元就の属城となっていた石見山吹城を急襲する。

    山吹城は大森銀山を守るために築かれた城で、元就はすでに毛利氏に帰服していた刺賀長信・ 高畠遠言を城番としていた。

    尼子軍の本城常光は手始めとして山吹城への兵糧道を封鎖し商人達にも山吹城への商品輸送を禁じた。

    この状況下の山吹城を救援するため出陣してきた毛利家臣の宍戸隆家率いる7,000の毛利勢は、数で劣るため山間の谷川が流れる狭隘な忍原に陣取った。

    しかし尼子軍は急峻な山に登って石を落し、宍戸軍を両側から挟撃し、さらに亀谷城の城兵と呼応して攻撃したため逃げ場を失った宍戸軍は統制が取れなくなり自壊し、死者数百名を出して敗走した(忍原崩れ)。

    後援の吉川元春も尼子軍の抵抗に手こずり、山吹城に籠城する長信らも包囲されて孤立。

    山吹城内の将兵は飢えに苦しみ、不利を悟った刺賀長信は義弟の湯惟宗を通じて、自身の自害と引き換えに山吹城の城兵は安芸国吉田郡山城の毛利元就の下へ送還することを要求する。

    晴久はこれを認め、長信は副将の高畠遠言と共に湯惟宗によって温泉津の海蔵寺に護送され、晴久の派遣した検使の前で切腹した。

    この合戦により、晴久は石見銀山と山吹城を奪取した。

    晴久はこの戦いに功のあった本城常光を石見最前線である山吹城におく。

    また、尼子氏はこの石見銀山を手中に収めることを確実にする為に在地豪族の温泉英永と尼子氏の直臣である多胡辰敬牛尾久清との連絡網を構築する。

    その後、毛利氏は石見銀山の奪取を何度か企てるも敗北し、晴久の存命中にこれを降す事は出来なかった。

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  • 山吹城の戦いやまぶきじょうのたたかい [毛利元就の石見・出雲平定]

    1559年7月

    島根県大田市大森町

    永禄元年の山吹城の戦いに敗れ、石見大森銀山を尼子晴久に奪われた毛利元就は、翌2年に銀山を奪還するべく山吹城攻略に向かう。

    奥湯城の小笠原長雄を先陣とし、子の吉川元春小早川隆景ら1万4000人に及ぶ軍勢で出陣した元就は、山吹城の向かいに位置する仙ノ山に本陣を置いた。

    数日間の攻撃を試みたが、尼子方の山吹城主の本城常光の抵抗が激しかった。

    落城が容易ではないことと、毛利氏の門司城を大友義鎮が攻め始めたこともあり退却を決意する。

    撤退中に降露坂で尼子勢に追撃され毛利軍は敗走。
    元就も命からがらに逃げるという混乱状態に陥ったと言われる。

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  • 山吹城の戦いやまぶきじょうのたたかい [毛利元就の石見・出雲平定]

    1562年6月

    島根県大田市大森町

    森脇市郎左衛門

    WIN

    LOSE

    永禄3年(1560年)12月、尼子晴久の急死後に跡を継いだ子の義久は、毛利元就と和睦することで石見の安定を図ろうとする(雲芸和議)。

    このため、結果的に元就から離反した福屋隆兼を見殺しにすることになってしまう。

    永禄5年(1562年)6月、山吹城を攻められた本城常光義久を見限って元就に降伏すると、動揺した尼子方国衆も降り石見は元就によって平定された。

    石見銀山と山吹城を手中に収めた元就は、山吹城に吉川元春の家臣・森脇市郎左衛門を置いた。

    12月、本城常光の武勇と性格への猜疑から元就によって誅殺されると、毛利側に寝返っていた尼子側国人の大半が再び尼子側へと寝返り、石見は再び混乱に陥る。

    毛利氏は出雲平定に4年もかかる事となる。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬