views : 766
池田長正(いけだながまさ)とは?父を自害させられた摂津の豪族【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、摂津の豪族である池田長正(いけだながまさ)です。弥太郎・筑後守とも。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
池田長正の一生
池田長正は摂津の豪族で将軍家から厚遇された池田信正の子として生まれます。
生年は不明ですが、ゲーム信長の野望では1519年と設定されています。
母は三好政長の娘。
天文17年(1548年)に、三好長慶が細川氏綱を擁して細川晴元と対立すると、父の信正は三好政長の外孫であったため三好・細川氏綱方に属して敗れ、晴元に自害させられた。
そのため池田長正が家督を継いだ。
長正の代で摂津国北部を支配するまで勢力を拡大するも、三好長慶との戦い敗れ、三好氏に属した。
三好氏の家臣となって以後は安見宗房らと戦ったという。
永禄6年(1563年)に死去。
嫡男の知正が幼少で元服前だったため、池田勝正が池田長正の嗣子となり家督を継いだ。
阿波の三好に味方することを条件に池田四人衆に推挙され池田城主となった。
信長の野望での池田長正
ゲーム信長の野望での池田長正のパラメーターを見てみましょう。
統率 56 (1009 位)
武勇 56 (1026 位)
知略 50 (1494 位)
内政 51 (1268 位)
外政 48 (1430 位)
合計 261 (1307 位)
2200人中の順位です。
ザ・マイナー武将らしく、平凡な能力値です。
特筆することはありません。
まとめ
いかがでしたか?
摂津の豪族である池田長正。父・信正が細川晴元によって自害されると家督を継ぐも、三好長慶に敗れ以降は三好氏に従いました。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。