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内ヶ島氏理

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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小田政光(おだまさみつ)

小田政光 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

53 (1170 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

56 (1027 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

60 (917 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

60 (783 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

61 (735 位)
合計 290 (818 位)2201人中
小田政光のグラフィック画像
小田政光 の基礎データ
性別
小田元光
配偶者・正室 龍造寺家門の娘
その他のデータ 列伝
誕生年 1509年 少弐家臣。肥前蓮池城主。龍造寺隆信の家督相続に反対した東肥前十九将の1人で、隆信と争う。隆信の肥前復帰後は隆信に仕え、江上武種討伐戦で戦死した。
死亡年 1558年
気質 実利
野心 10
家名存続 かめいそんぞく
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 臨戦 消費ゲージ 2
効果 自身の防御力を小上昇、視界を上昇し、敵の罠を回避
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 囮挑発戦法
読み おとりちょうはつせんぽう
条件 海(湖)以外
消費軍議 30 必要部隊 2
効果 囮隊の速度が小上昇、防御が上昇し、周囲の敵を挑発
補佐
万全 奇襲されたときの妨害効果時間を小低下

小田政光が登場する合戦

  • 田手畷の戦いたでなわてのたたかい [大内氏の九州進出と少弐氏]

    1530年8月15日

    佐賀県神崎郡吉野ヶ里町田手

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  • 水ヶ江城の戦いみずがえじょうのたたかい [少弐氏の滅亡と龍造寺氏]

    1545年3月

    佐賀県佐賀市水ヶ江町

    天文14年(1545年)正月の水ヶ江城の戦いに敗れた龍造寺氏は、一族が離散を余儀なくされていた。

    しかも、当主の家兼が筑後柳川で逼塞している間に、家兼の子の家純・家門と孫の周家・純家・頼純・家泰が、馬場頼周神代勝利らによって謀殺されてしまったのである。

    家兼は90歳を超えた高齢であったため、厳しい追及を受けずに済んでいる。

    3月、肥前への復帰を図るために蒲池氏の支援を受け挙兵した家兼は、自らの居城であった水ヶ江城を攻撃した。

    城を守る小田資光の子の政光の兵が城を明け渡したため、水ヶ江城を奪還している。

    詳細を見る

  • 八戸城の戦いやえじょうのたたかい [少弐氏の滅亡と龍造寺氏]

    1553年8月8日

    佐賀県佐賀市八戸

    八戸宗暘

    龍造寺鑑兼

    土橋栄益

    LOSE

    天文20年(1551年)、土橋栄益が龍造寺鑑兼を龍造寺当主に擁立せんとして龍造寺隆信に反旗を翻した際、八戸宗暘は神代勝利江上武種小田政光筑紫惟門らと共に栄益に与して、龍造寺隆信を肥前村中城から追放し筑後国へと追い遣った。

    2年近く筑後に逼塞していた龍造寺隆信は肥前へ復帰するべく、筑後柳川城主の蒲池鑑盛の支援を得て、天文22年(1553年)7月25日に肥前に侵入すると、対立していた八戸宗腸が守る八戸城を攻撃する。

    八戸城には神代勝利が後詰を送ってきたが、8月8日に降伏開城した。

    その後、八戸宗腸は神代勝利と共に隆信に和睦を請うと、自らの室が隆信の姉(妹とも)であることから許され、隆信より奪った領地を返還の上で八戸城へと戻された。

    ただし、宗暘は嫡子の飛車松を人質に出すよう隆信より命じられても履行しなかった。

    またこの際、村中城を守備していた小田政光隆信に恭順し、城主に擁立されていた龍造寺鑑兼は隆信の正室の兄であったため佐嘉郡に帰らせて所領を与えられ、土橋栄益は捕えられて処刑された。

    隆信は居城であった村中城に復帰し肥前の奪還を果たしたのであった。

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  • 加与丁の戦いかよちょうのたたかい [少弐氏の滅亡と龍造寺氏]

    1553年10月8日

    佐賀県佐賀市諸富町大堂

    龍造寺隆信が肥前村中城から追い出された後、龍造寺鑑兼が名目上の城主となっていたが、実際には少弐冬尚の家臣で小田資光の子である小田政光が実権を握っていた。

    村中城に復帰した隆信は、天文22年(1553年)10月、政光の居城である蓮池城を攻撃する。

    政光は城から打って出ると、肥前加与丁で龍造寺勢を迎え撃つが、敗れて蓮池城に撤退した。

    その後、政光隆信に降伏し、龍造寺氏の家臣として活躍している。

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小田政光が登場する記事一覧

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬