今日は何の日?

  • ● 1548年 今川軍が第一次小豆坂の戦いで織田信秀を撃破する
  • ● 1574年 羽柴(豊臣)秀吉が近江長浜の領民に田地を開墾した者に土地を与えるとの御触書を出す
  • ● 1548年 今川軍が第一次小豆坂の戦いで織田信秀を撃破する
  • ● 1574年 羽柴(豊臣)秀吉が近江長浜の領民に田地を開墾した者に土地を与えるとの御触書を出す

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この人誰?

麻生鎮里

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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蜂須賀小六(はちすかころく)

蜂須賀小六 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

71 (328 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

79 (141 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

82 (109 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

66 (504 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

83 (83 位)
合計 381 (116 位)2201人中
蜂須賀小六のグラフィック画像
蜂須賀小六 の基礎データ
性別
別名 正勝 利政
幼名 鶴松 鶴丸
仮名・通称 小六郎 彦右衛門
法号・戒名 福聚院殿良巌浄張大居士
蜂須賀正利
配偶者・正室 大匠院(益田持正または三輪吉高の娘)
側室1 白雲院(鳥井越中守の娘)
蜂須賀小六の自画像
その他のデータ 列伝
誕生年 1526年 豊臣家臣。墨俣一夜城の築城に協力し、以後、秀吉の参謀として民政・調略に手腕を発揮。四国征伐後、長宗我部家への抑えとして阿波徳島18万石を領した。
死亡年 1586年
気質 実利
野心 5
所領拡大 しょりょうかくだい
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 急襲 消費ゲージ 2
効果 自身の攻撃力を小上昇
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 全軍突撃
読み ぜんぐんとつげき
条件 海(湖)以外
消費軍議 40 必要部隊 1
効果 突撃隊の移動と攻撃が小上昇、防御が低下し、敵に向け強制移動
補佐
猛攻 味方の作戦効果中に攻撃力を小上昇

蜂須賀小六が登場する合戦

  • 鎌刃城の戦いかまはじょうのたたかい [織田信長の越前・北近江平定]

    1571年5月6日

    滋賀県米原市番場

    浅井井規

    LOSE

    WIN

    元亀2年(1571年)5月6日小谷城を打って出た浅井長政は、織田方の木下秀吉が守る横山城近くに布陣すると、家臣の浅井井規に命じ、織田方に寝返った堀秀村の守る箕浦城とその家老である樋口直房の守る鎌刃城を攻めさせた。

    兵力は本願寺法主・顕如の檄を受けて信長を共通の敵とする江北の一向一揆勢も加えて約5000人であった。

    横山城の南方7kmほどに位置する鎌刃城は、横山城の背後を固める織田方の重要な拠点であったが、浅井勢の本隊に横山城を牽制されているため救援のために割く兵力は限られていた。

    秀吉蜂須賀政勝前野長康らと共に130の手勢を率いて鎌刃城の救援に赴く。

    鎌刃城の救援に成功すると、鎌刃城の城兵とともに箕浦に向かった。

    その後樋口直房は横山城を任され、織田家にかなりの重きに扱われることになる。

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  • 箕浦の戦いみのうらのたたかい [織田信長の越前・北近江平定]

    1571年5月6日

    滋賀県米原氏箕浦

    鎌刃城の救援に成功した木下秀吉は、堀秀村とその家老の樋口直房らとともに、箕浦におかれていた浅井方の陣を襲撃する。

    浅井方が湖北一向一揆の加勢を得て5000余の大軍を擁していたのに対し、横山城に主力をおいてきた織田方は鎌刃城の兵と合わせても500余だったという。

    しかし果敢に浅井井規隊を切り崩し、ついに浅井勢を敗走させた。

    琵琶湖の湖岸伝いで逃れた浅井井規隊は八幡の辺りで一旦は持ちこたえて反撃を試みたが、秀吉隊の猛追に再び崩れ、小谷城に逃ちていった。

    この間、浅井勢の襲撃をうけた横山城は竹中重治(半兵衛)加藤光泰羽柴秀長らが防いでいた。

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  • 長水城の戦いちょうすいじょうのたたかい [織田信長の播磨・但馬平定]

    1580年5月9日 ~ 10日

    兵庫県宍粟市山崎町宇野

    荒木平大夫

    神子田半左衛門

    WIN

    英賀城を落とした羽柴秀吉は天正8年(1580年)4月24日に、依然として織田方に抵抗を続ける宇野政頼祐清父子を討つことにした。

    まず支城の篠の丸城を攻め落とす。

    天険の要害である長水山城を力攻めをせず、麓を焼き払い要所に砦を築くいて完全包囲した。

    蜂須賀小六らの兵を残して秀吉は三木氏攻略のために姫路に引き返している。

    城兵の疲労をまっていた秀吉軍は、5月9日に至り総攻撃を開始、翌10日に城内の内通者によって、長水城は火を発し落城した。

    城主の宇野政頼祐清父子は、ひそかに城を脱出して鷹ノ巣を越えて千草に到着したが、おりからの雨で千種川は洪水で渡ることが出来ず、 秀吉軍の蜂須賀正勝・荒木平大夫・神子田半左衛門らの軍勢に追われ、宇野一族をはじめ長水勢はことごとく討死した。

    これにより播磨は秀吉によって平定されたのである。

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  • 宮地山城の戦いみやじやまじょうのたたかい [織田信長の中国平定]

    1582年4月14日 ~ 5月2日

    岡山県岡山市北区足守

    乃美元信

    船木藤左衛門

    LOSE

    備中高松城主・清水宗治の攻略を決めた羽柴秀吉は、峰須賀正勝黒田官兵衛らに高松城の支城にあたる備中宮地山城の乃美元信を誘降するよう命じるが、小早川隆景への忠義は揺らがず失敗する。

    そのため秀吉は、4月14日から冠山城とともに宮地山城を包囲した。
    4月25日に冠山城が落ちると、宇喜多直家の家臣・信原内蔵允が宮地山城の船木藤左衛門の内応に成功し、使者として宮路山城に入り和睦交渉が行われた。

    そして5月2日、水の手を断たれていたこともあり元信は降伏し宮地山城を退去した。

    これにより残る高松城の支城は鴨(加茂)城のみとなった。

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  • 脇城の戦いわきじょうのたたかい [羽柴秀吉の四国平定]

    1585年7月15日

    徳島県美馬市脇町

    木津城を落とした羽柴秀次は、中富川(吉野川)中流域を押さえる阿波脇城の攻略に向かい、黒田官兵衛堀秀政蜂須賀正勝日根野弘就前野長康らとともに包囲した。

    さらに秀次は、阿波白地城にいる長宗我部元親を牽制したが、結局元親からの後詰はなかった。

    脇城を守っていた元親の叔父にあたる長宗我部親吉は、水の手を断たれ、またすぐ近くの岩倉城が先に降伏したため降伏開城する。

    開城後、親吉は土佐に落ちる途中の貞光川の栂橋にて、先だって長宗我部氏に領土を奪われ逼塞していた土豪の小野寺吉家一党に襲撃され殺害された。

    小野寺氏を扇動したのは豊臣方の蜂須賀家政であるとされており、のちに蜂須賀氏は阿波一国が与えられ、小野寺氏は蜂須賀氏に登用されている。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬