今日は何の日?

  • ● 1570年 永禄から元亀に改元される
  • ● 1583年 羽柴(豊臣)秀吉が柴田勝家の籠る越前北ノ庄城を包囲する
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この人誰?

江馬輝盛

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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竹中重利(たけなかしげとし)

竹中重利 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

57 (954 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

43 (1702 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

69 (468 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

70 (362 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

71 (324 位)
合計 310 (564 位)2201人中
竹中重利のグラフィック画像
竹中重利 の基礎データ
性別
別名 重信 重義 隆重 重隆
仮名・通称 源助
法号・戒名 春岩院殿逸峯玄俊大居士
竹中重光または竹中重広
配偶者・正室 竹中重元の娘
その他のデータ 列伝
誕生年 1562年 竹中半兵衛の従兄弟。豊臣秀吉の馬廻。関ヶ原合戦では黒田官兵衛に誘われ東軍につく。戦後大分城を与えられ、港や城下を整備。現在の大分の基礎を作った。
死亡年 1615年
気質 才覚
野心 7
家名存続 かめいそんぞく
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 逆撫で 消費ゲージ 4
効果 前方範囲内の敵を挑発
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 囮挑発戦法
読み おとりちょうはつせんぽう
条件 海(湖)以外
消費軍議 30 必要部隊 2
効果 囮隊の速度が小上昇、防御が上昇し、周囲の敵を挑発
補佐
地利 地形が森のとき移動速度と視界を小上昇

竹中重利が登場する合戦

  • 田辺城の戦いたなべじょうのたたかい [関ヶ原の戦い]

    1600年7月19日 ~ 9月18日

    京都府舞鶴市北田辺

    前田茂勝

    藤掛永勝

    川勝秀氏

    長谷川宗仁

    赤松左兵衛佐

    山名主殿頭

    早川長敏

    WIN

    LOSE

    田辺城(舞鶴城)

    田辺城(舞鶴城)

    慶長5年(1600年)6月16日に家康と対立して佐和山に蟄居していた石田三成は、畿内一帯が軍事的な空白地域になったことを好機と見て、大坂城に入り家康を討伐するために兵を挙げた。

    石田三成は大坂城下にいる東軍方の大名の妻子を人質として取り込もうとしたが、その際、長岡(細川)忠興の正室であるガラシャが自死し、失敗に終わった。

    その後、西軍は畿内近国の家康側諸勢力を制圧することに取り組んだ。

    その中には丹後田辺城も含まれており、丹波福知山城主の小野木重次や亀岡城主の前田茂勝、織田信包小出吉政杉原長房谷衛友・藤掛永勝・川勝秀氏・長谷川宗仁・赤松左兵衛佐・山名主殿頭ら丹波・但馬の諸大名と、中川秀成毛利高政・早川長敏・木下延俊竹中重利ら豊後の諸大名も加わり、1万5000の兵力で田辺城を包囲した。

    田辺城を守る側は、忠興が殆どの兵を連れて出ていたため、忠興の実弟の細川幸隆と父の幽斎、さらに幽斎の甥である三淵光行が率いる500人ほどしかいなかった。

    幸隆と幽斎らは抵抗するも、兵力の差が大きく、援軍の見込みもないため、月末には田辺城は落城寸前となった。

    しかし、攻撃側には幽斎を文化人として尊敬する者も多く、積極的な攻撃ができていなかった。

    幽斎は当時三条西実枝から古今伝授を受けており、幽斎の弟子である八条宮智仁親王やその兄の後陽成天皇らも、幽斎の討死と古今伝授の断絶を恐れていた。

    そのような状況下でついに天皇は、幽斎の弟子である三条西実条と中院通勝、中将烏丸光広を勅使として派遣し、講和を命じた。

    勅命を受けた幸隆と幽斎は、9月13日に田辺城を明け渡し、敵将前田茂勝の居城である丹波亀山城に移ることとなった。

    この戦いは西軍の勝利となったが、丹波・但馬の西軍1万5000は田辺城に釘付けにされ、関ヶ原の本戦が行われる9月15日までに間に合わず、西軍の展開に大きな影響を及ぼした。

    また、幽斎の抵抗を通して家康の統治権代行の正当性が広く周知されることは、石田三成にとって大きな痛手となった。

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  • 木付城の戦いきつきじょうのたたかい [九州の関ヶ原]

    1600年9月10日 ~ 12日

    大分県杵築市杵築

    岐部玄達

    吉弘七左右衛門

    柴田統生

    野原太郎右衛門

    LOSE

    有吉立行

    久野次左衛門

    曾我部五右衛門

    母里与三兵衛

    時枝平太夫

    野村市右衛門

    後藤太郎助

    WIN

    1600年、関ヶ原の戦いの際に、大友義統は西軍に属して再起を図ります。
    西軍の総大将である毛利輝元の支援を受けて長門下関から豊後立石に渡海した大友吉統は、木付城(杵築城)を攻撃する。

    この木付城は、丹後宮津城主・長岡(細川) 忠興の飛び地だったところで、忠興の家臣である松井康之・有吉立行を派遣して統治に当たらせており豊後において唯一の東軍方だった。

    豊後に上陸すると、1600年9月10日夜、吉弘統幸ら岐部玄達・吉弘七左右衛門・鉄炮頭の柴田統生、200騎が木付城を攻める。

    二の丸にいた野原太郎右衛門が大友勢に内通して城下に火が掛けられます。

    大友勢の攻撃を受けた松井康之・有吉立行らは、200余の兵とともに防戦に努める一方、豊前中津城の黒田如水(黒田官兵衛)に救援を安請する。

    9月9日に大友勢の立石布陣の報を受けた如水は杵築城支援の先遣隊(一番備:久野次左衛門・曾我部五右衛門・母里与三兵衛・時枝平太夫を頭に約千人。二番備:井上九郎右衛門・野村市右衛門・後藤太郎助を頭に約千人)を派遣し自らも追って出陣した。
    先遣隊は10日に赤根峠を越え、12日に木付に到着、如水の本隊を待てとの指示に従わずに13日の朝より鉄輪で合流した黒田先遣隊と杵築勢は石垣原へ兵を進めた。

    如水の本隊は先遣隊と同日の9日に中津城を出陣し、宇佐高森城(黒田孝利)・高田城(竹中重利)を経て10日に赤根峠を越えて国東に進出し富来城(垣見一直)を包囲した。
    当時旗幟を鮮明にしていなかった重利は、子の竹中重義に兵200人を付けて黒田軍に従軍させた。

    大友軍が杵築城を攻撃すると、黒田軍は攻撃予定であった富来城(垣見一直)を後回しにして、合戦のあった13日には頭成まで家臣の井上九郎兵衛・時枝平太夫を進出させた。
    黒田軍本隊は12日には安岐城を攻め、13日に打って出てきた熊谷直盛の軍を撃破し、杵築城の救援に向かった。

    松井康之・有吉立行らは、残すは本丸のみと言う所まで押し込まれましたが、松井康之が相原山に伏兵を置いて柴田統生を討取るなど反撃します。

    落城が迫ったとき、黒田官兵衛の援軍が着陣したため、大友勢は兵を退いた。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬