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  • ● 1496年 播磨、備前、美作三国の守護・赤松政則が死去。享年42歳
  • ● 1585年 羽柴(豊臣)秀吉が紀州太田城を水攻めで落とす
  • ● 1613年 江戸幕府奉行衆・大久保長安が死去。享年69歳
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清野清秀

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益田正親(ますだまさちか)は何をした人?貧農の出ながら優秀!【黒田二十四騎】

益田正親(ますだまさちか)は何をした人?貧農の出ながら優秀!【黒田二十四騎】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回紹介するのは黒田二十四騎のうちの一人、益田正親(ますだまさちか)です。

一体何をした人なんでしょうね。
それでは見ていきましょう!

目次[非表示]

黒田二十四騎

益田正親義は黒田二十四騎です。

黒田二十四騎(くろたにじゅうよんき)とは、賤ヶ岳の七本槍に倣い、黒田長政の家臣の中から24人の精鋭を選出した呼称です。

通称は与助(よすけ)、与九郎(よくろう)、初名は宗清。

益田性をもらう

天文11年(1542年)益田正親は播磨国姫路近郊の貧農で九番目の子として生まれます。

この家は黒田家に借りたお米を返せなくなり、台所の水汲みとして奉公していたところ、辛抱強く寒暑に動じずに一所懸命に奉公する姿を黒田官兵衛に見出されました。

その後薙刀持ち、徒侍を経て士分となり、83石を拝領します。

それに当たって姓が必要となった際に、黒田官兵衛の嫡男の黒田長政正室・糸姫(蜂須賀正勝の娘)の義母・大匠院(蜂須賀正勝の正室)が益田氏の出であったことから、それにちなんで「益田」と名乗ることとなります

この時期は、羽柴秀吉が織田家の家臣としてグングン成長していた時期で、関係を深めるため羽柴家臣内での婚姻が多いです。性をもらうというのも、関係を深める行為ですね。

※別の説として、毛利氏重臣の益田氏にちなむとするものもあります。

益田正親の活躍

天正15年(1587年 益田正親が45歳の頃)の豊前の城井鎮房の反乱において、長政が城井谷を攻めて敗北した際、正親の兄の与六郎が討死。
文禄元年(1592年 益田正親が50歳の頃)、文禄・慶長の役を前に500石に加増され、足軽大将となります。
文禄4年(1595年 益田正親が53歳の頃)に698石に加増されます。
慶長5年(1600年 益田正親が58歳の頃)の木曽川・合渡川の戦い及び関ヶ原の戦いでは敵3人を討ち取ります。58歳でもがんばります!

慶長6年(1601年 益田正親が59歳の頃)、黒田氏が筑前国に入国した後に3,000石を与えられ、鉄砲組頭となりました。
農民上がりなので、足軽の気持ちをよくわかっており、戦場での働きは10,000石に匹敵すると言われていましたが、読み書きができなかったので3,000石です

福岡城の石垣普請奉行を築城名人の野口一成と共に務めています。

慶長16年(1611年)10月15日死去。享年70。
遺領は、養子の縫殿介が2,500石を、実子の与市、二郎兵衛、助二郎の三人が各150石ずつを継ぎました。

生涯29首討ち取る。

益田正親の人柄
性格は律儀で正直者、根気もあって生涯下僕の心を失わず、勇猛にして非常に謙虚だったようです。

妻は秀吉子飼いであり、賤ヶ岳七本槍の一人である糟屋武則の次男・加藤権左衛門の娘です。
子に与市、二郎兵衛、助二郎、養子に縫殿介(黒田二十四騎の筆頭家老栗山利安の子)がいます。

石垣造りの名人として、福岡城のほか江戸城天守台の石垣造りも任さた野口左助は、母里多兵衛の妹と結婚。
多兵衛と色違いの水牛脇立兜を長政の命で身につけました。

まとめ

いかがでしたか?

貧農の出ながら鉄砲組頭にまでなった益田正親。
その性格は、素朴で正直者で、非常に謙虚ながらも、生涯で29の首級をあげています。

実に素晴らしいです。

身分にかかわらず、取り上げた官兵衛の天分を見て取る力もすごいですね。

黒田二十四騎はそれぞれ個性がありますよね。

他の黒田二十四騎の記事もありますので是非読んでください!
面白いです。

それでは、今後もマイナー武将列伝をアップしていくのでよろしくお願いします!

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬