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  • ● 1566年 松永久秀が三好三人衆に攻められ、堺から逃亡する
  • ● 1587年 九州を平定後、豊臣秀吉が佐々成政に肥後を与える
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この人誰?

石川忠総

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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斎藤龍興(さいとうたつおき)

斎藤龍興 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

31 (2070 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

39 (1864 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

32 (2133 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

43 (1668 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

33 (2022 位)
合計 178 (2147 位)2201人中
斎藤龍興のグラフィック画像
斎藤龍興 の基礎データ
性別
別名 一色義糺 一色義輔 一色義棟 一色義紀 一色式部大輔
幼名 喜太郎
仮名・通称 右兵衛大夫 治部大輔
法号・戒名 瑞光院竜淵宗雲日珠大居士
斎藤義龍
近江局
斎藤龍興の自画像
その他のデータ 列伝
誕生年 1548年 美濃の戦国大名。義龍の嫡男。父の死後家督を継ぐ。美濃三人衆に背かれ、織田信長に敗れて追放された。その後は朝倉家に属し、越前刀禰坂合戦で戦死した。
死亡年 1573年
気質 家名
野心 9
家名存続 かめいそんぞく
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 臨戦 消費ゲージ 2
効果 自身の防御力を小上昇、視界を上昇し、敵の罠を回避
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 囮挑発戦法
読み おとりちょうはつせんぽう
条件 海(湖)以外
消費軍議 30 必要部隊 2
効果 囮隊の速度が小上昇、防御が上昇し、周囲の敵を挑発
補佐
万全 奇襲されたときの妨害効果時間を小低下

斎藤龍興が登場する合戦

  • 森辺の戦いもりべのたたかい [織田信長の美濃平定]

    1561年5月14日

    岐阜県安八郡安八町森部

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  • 十四条の戦いじゅうしじょうのたたかい [織田信長の美濃平定]

    1561年5月23日

    岐阜県本巣市十四条

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  • 軽海の戦いかるみのたたかい [織田信長の美濃平定]

    1561年5月23日 ~ 24日

    岐阜県本巣市軽海

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  • 新加納の戦いしんかのうのたたかい [織田信長の美濃平定]

    1563年4月

    岐阜県各務原市那加新加納町

    永禄4年(1561年)、美濃に侵攻しながらも結局は退陣に追い込まれていた織田信長は、永禄6年(1563年)4月、5700の軍勢を率いて木曽川を渡ると美濃各務原に侵入し、そのまま斎藤龍興の居城である稲葉山城にほど近い新加納に布陣した。

    信長が付近の村に火を放ちながら、稲葉山城の城下にあたる井口に向かうと、これに対し稲葉山城から斎藤龍興の軍勢3500が打って出てきて新加納で戦いとなった。

    数に勝る信長軍が勝つと思われていたが、龍興の家臣・竹中半兵衛の伏兵策に翻弄され、信長軍は900余が討ち取られ敗北した。

    この合戦で活躍した半兵衛に対し、龍興は褒賞するどころか前と相変わらず馬鹿にしたりしたため、翌年2月に自身の留守中に僅か16人で居城の稲葉山城を乗っ取られた。

    その半年後城は返されたものの半兵衛は斎藤家を出奔し、斎藤家は衰退していくことになる。

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  • 関の戦いせきのたたかい [織田信長の美濃平定]

    1565年9月29日

    岐阜県関市

    長井道利

    LOSE

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  • 河野島の戦いかわのしまのたたかい [織田信長の美濃平定]

    1566年8月29日

    岐阜県羽鳥郡岐南町

    斎藤道三の死によって尾張・美濃の同盟関係が破れると、織田信長は幾度か美濃への侵入を企てた。

    永禄9年(1566年)8月29日、信長は美濃国境まで進軍するも、予期せぬ出水に遭遇し木曾川を越えて濃尾国境に位置する河野島まで進軍して境川の南岸に布陣した。

    それを知った斎藤龍興も直ちに稲葉山城を打って出て、境川の北岸に着陣した。

    斎藤側は、境川を限りとして守備したが、翌30日に木曽川が洪水となったため、両者は動きが取れなくなった。

    ようやく水の引いた閏8月8日未明、利がないと判断した信長が木曾川を渡って尾張に撤退しようとしたところを龍興が追撃する。

    これにより、織田方の兵が討死や溺死するなどして敗北した。

    織田軍は武器を捨てて退散するという有様だったという。

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  • 稲葉山城の戦いいなばやまじょうのたたかい [織田信長の美濃平定]

    1567年8月1日 ~ 15日

    岐阜県岐阜市大宮町

    稲葉山城(岐阜城)

    稲葉山城(岐阜城)

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  • 刀禰坂の戦いとねざかのたたかい [織田信長の越前・北近江平定]

    1573年8月13日

    福井県敦賀市刀根

    朝倉景氏

    朝倉景冬

    朝倉景行

    朝倉道景

    詫美越後守

    LOSE

    天正元年(1573年)織田信長浅井長政朝倉義景を滅ぼすため戦を仕掛けます。
    信長は3万の軍を率いて岐阜城を発ち近江に攻め入ります。

    まず浅井長政の小谷城が包囲されてしまいます。

    朝倉義景は小谷城を救援するため大嶽砦に布陣するも、暴風雨の中織田勢に奇襲を行われ陥落していまいます。

    織田勢は続いて朝倉勢が守る丁野山城も落とします。

    朝倉勢は主力重臣らを欠いた上、戦意も低く、勝ち目がないことを悟り越前へ撤退を決断しました。

    朝倉軍が撤退を開始するや、信長は本隊を率い、自ら先頭指揮を行って朝倉軍を追撃します。

    義景は疋田城への撤退を目標とし、経路である刀禰坂に向かったが、ここでも信長自らが率いる織田軍の追討を受ける。

    余呉から刀禰坂、敦賀にかけての撤退中、朝倉軍は織田軍に押され、織田方の記録に拠れば3,000人以上と言われる死者を出した。

    朝倉軍もある者は踏み止まり、ある者は反転して織田方を押し戻すなど果敢に奮闘したが、北庄城主の朝倉景行や当時17歳の朝倉道景、朝倉景氏、朝倉景冬、といった一門衆を含め、朝倉氏の客将となっていた斎藤龍興河合吉統山崎吉家など大名・朝倉氏本家の軍事中核を成していたであろう武将が多数戦死しました。

    織田軍は翌14日まで朝倉軍を徹底的に追撃した。
    これにより朝倉軍の近江遠征軍、つまり朝倉本家の直属軍勢と部将はほぼ壊滅し朝倉義景は手勢のみを率い、一乗谷へ帰還しました。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬