今日は何の日?

  • ● 1552年 将軍・足利義輝が尼子晴久を中国八カ国の守護に任じる
  • ● 1573年 織田信長が洛外28ヶ所に放火し、将軍・足利義昭に和睦を迫る
  • ● 1575年 石山本願寺の本願寺顕如が織田信長に対し、再度挙兵する
  • ● 1552年 将軍・足利義輝が尼子晴久を中国八カ国の守護に任じる
  • ● 1573年 織田信長が洛外28ヶ所に放火し、将軍・足利義昭に和睦を迫る
  • ● 1575年 石山本願寺の本願寺顕如が織田信長に対し、再度挙兵する

歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」の攻略サイト

この人誰?

多功長朝

武将名鑑【大志(パワーアップキット)】

武将名鑑アイコン

今川氏真(いまがわうじざね)

今川氏真 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

24 (2178 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

27 (2149 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

27 (2196 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

60 (782 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

30 (2087 位)
合計 168 (2172 位)2201人中
性別
幼名 龍王丸
仮名・通称 彦五郎 五郎
法号・戒名 宗誾 仙巖斎 仙岩院殿豊山泰英大居士
今川氏真のグラフィック画像
その他のデータ 列伝
誕生年 1538年 駿河の戦国大名。義元の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康武田信玄に領国を追われた。
死亡年 1614年
気質 芸道
野心 5
家名存続 かめいそんぞく
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 お調子者 消費ゲージ 2
効果 自身の移動速度と攻撃力を小上昇し、防御力を小低下
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 本陣斬込
読み ほんじんきりこみ
条件 海(湖)以外
消費軍議 25 必要部隊 2
効果 斬込隊の速度と攻撃と防御が大上昇し、敵本陣に向け強制移動
補佐
復帰 潰走からの回復速度が上昇

今川氏真が登場する合戦

  • 今川館の戦いいまがわやかたのたたかい [武田信玄の駿河平定]

    1568年12月13日

    静岡県静岡市葵区駿府公園

    詳細を見る

  • 懸川城の戦いかけがわじょうのたたかい [武田信玄の駿河平定]

    1568年12月27日 ~ 1569年5月17日

    静岡県掛川市城下

    永禄11年(1568年)12月27日、徳川勢が遠江に攻め寄せ今川氏真が保護されていた掛川城の包囲を始める。

    はじめのうちは大きな動きがなかったが、翌年永禄12年(1569)の1月中旬に本格的な包囲体制ができたため、大きな戦いが繰り広げられていった。

    3月5日には家康自らが大手南町口・西町口・松尾曲輪・天王小路などを攻めたが、掛川城は堅城であるうえに朝比奈泰朝がよく守ったため攻め落とせず、また、今川氏の同盟勢力である相模国北条氏も海路から援軍を送ってきたため、長期戦となった。

    家康は今川家家臣の調略を試みるが、ここまで残っている朝比奈氏は揺れず、また家康は武田軍の動向にも気をつける必要があった。

    信玄家康は大井川を境として東の駿河を武田軍が、西の遠江を徳川軍が手柄次第に領有するとの約束をしていたとされているが、信玄は信濃国の伊那郡より秋山信友を大将とする別働隊を派遣していた時期があり、この軍勢が遠江国をうかがう動きを見せたため、上信感を抱いていたのである。

    このような状況下で、『松平記』『北条記』によると3月8日に家康から和睦を申し入れています。

    家康は、かつては自分も今川氏に取り立てられた身であり、自分が遠江を取らなければ必ず信玄が取ることになるであろうから、それよりは家康に下されて和談とすれば、北条氏と申し合わせて信玄を逐い駿府を氏真に返そう、と説いたという。
    この協議には北条氏も参画し、4月末頃までにはほぼ合意に達していたようであり、5月15日(一説には17日)に開城という運びとなった。

    これにより、かつては駿河・遠江・三河を領した今川氏は滅亡したのである。

    領国を失った氏真は妻の実家である北条氏を頼り、北条領の伊豆国へと向かった。
    この時朝比奈泰朝氏真に供奉し、伊豆へ同行している。

    氏真は北条氏の庇護の下に入ったが、泰朝上杉謙信の家臣・山吉氏に援助を要請するなどの活動を行っている。

    掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子が入った。

    詳細を見る

  • 吉原の戦いよしわらのたたかい [武田信玄の駿河平定]

    1570年5月14日

    静岡県富士市吉原一帯

    詳細を見る

今川氏真が登場する記事一覧

武将名鑑アイコン

武将名鑑【大志(パワーアップキット)】

武将列伝を一覧で見る場合はこちら

おすすめ記事一覧

ページトップへ

旧国名を見る

閉じる

※地図上にマウスを当ててみてね

※地図上をタップしてみてね

名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とほたあふみ とおとおみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬

近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽 陸奥 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬