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  • ● 1560年 長宗我部元親が父・国親死去にともない家督を嗣ぐ
  • ● 1582年 明智秀満が坂本城で一族と共に自刃。安土城消失
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この人誰?

三好政長

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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鍋島直茂(なべしまなおしげ)

鍋島直茂 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

87 (46 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

81 (109 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

92 (20 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

82 (94 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

91 (24 位)
合計 433 (24 位)2201人中
鍋島直茂のグラフィック画像
鍋島直茂 の基礎データ
性別
別名 信安 信真 信昌 信生
幼名 彦法師丸
仮名・通称 孫四郎 左衛門大夫
渾名 龍造寺の仁王門 老虎
法号・戒名 高伝寺殿日峯宗智大居士
鍋島清房
養父 葉胤連
華渓(龍造寺家純の娘)
養母 慶誾尼
配偶者・正室 慶円(高木胤秀の娘)
側室1 彦鶴(石井常延の娘)
側室2 井手口小左衛門の妹
鍋島直茂の自画像
その他のデータ 列伝
誕生年 1538年 龍造寺家臣。清房の子。主家の発展に貢献した知勇兼備の将。主君・政家を後見して国政を執った。関ヶ原合戦で東軍に属し、戦後、肥前の支配権を獲得した。
死亡年 1618年
気質 実利
野心 11
天下統一 てんかとういつ
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 采配 消費ゲージ 6
効果 周囲の味方の攻撃力と防御力を小上昇
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 神出鬼没
読み しんしゅつきぼつ
条件 山、森、湿地、川、商圏
消費軍議 40 必要部隊 3
効果 強襲隊の速度が小上昇、奇襲時戦法ゲージが増加し敵の兵数と士気を低下
補佐
闇討 奇襲したときの妨害効果時間を小上昇

鍋島直茂が登場する合戦

  • 村中城の戦いむらなかじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1570年3月27日 ~ 10月3日

    佐賀県佐賀市城内

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  • 横造城の戦いよこぞうじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1576年2月6日

    佐賀県鹿島市常広・中村

    有馬氏は、長崎県南部の島原半島を本拠として高来彼杵・松浦・杵島・藤津の5郡を支配下におく大名であったが、有馬晴信の代には龍造寺隆信の圧迫を受けていた。

    天正4年(1576年)正月、晴信は自ら大軍を率いて藤津に出陣すると、松岡城・横造城・鷲巣城・鳥付城で龍造寺勢の侵攻に備える。

    しかし龍造寺氏の攻撃を受け2月6日に数千人の兵により落城すると、ほかの城も開城し、松岡城に在城していた晴信は全軍を島原半島に引きあげさせた。

    その後は鍋島信房(直茂)が横造城に入った。

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  • 萱瀬城の戦いかやぜじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1577年6月20日

    長崎県大村市中岳町

    天正5年(1577年)6月、龍造寺隆信鍋島信生(直茂)を先陣とした8,000の大軍で大村純忠の居城である肥前三城を攻撃するため伊万里を出陣した。

    このとき龍造寺氏に降った勝尾嶽城主の松浦鎮信や武雄城主の後藤貴明も龍造寺軍に参陣している。

    大村純忠の軍は兵300という寡兵ながらも萱瀬城で迎え撃つも龍造寺軍に降伏し、隆信の子の江上家種純忠の娘が嫁ぐという条件で和睦した。

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  • 今山城の戦いいまやまじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1579年3月

    福岡県大牟田市今山

    小池鎮実

    小代親忠

    LOSE

    天正6年(1578年)の高城河原の戦いに敗れた豊後の大友宗麟の勢威が衰えると、これを好機ととらえた龍造寺隆信は本格的に筑後への侵攻を図った。

    天正7年(1579年)3月、隆信は23000の大軍を率いて筑後に出陣した。
    まず筑後鷹尾城の田尻鑑種が降伏し、次に筑後今山城主の三池鎮実を撃つため進軍した。

    田尻鑑種と三池鎮実は姻戚関係にあったので、人質を出して降伏するように勧めたが鎮実はこれを拒否した。

    龍造寺軍は周辺の青田を刈り取ると、今山城に攻めかかった。

    先陣は田尻鑑種とし、二陣蒲池、三陣鍋島、四陣神代、五陣横岳、さらに筑紫広門、豊饒鎮連らの大軍が一斉に突撃した。

    三池鎮実以下の城兵は、龍造寺の大軍を相手によく防戦し、早朝に開始された戦いは十時間以上におよんだ。

    夕刻になって大雨となり、龍造寺軍はひとまず兵を引いた。

    この夜、これ以上の抵抗は無理と悟った三池鎮実以下の城兵は、風雨にまぎれて逃亡し戦いは龍造寺軍の勝利に終わった。

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  • 筒ヶ嶽城の戦いつつがだけじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1579年3月

    熊本県荒尾市府本

    小代親忠

    小代親泰

    LOSE

    三池城を攻略した龍造寺隆信は、家臣の鍋島直茂に2000余の軍勢をつけ、肥後の小代親忠を攻撃させた。

    親忠が縁戚にあたる三池鎮実に援軍を送るなどして、龍造寺氏に抵抗する姿勢をみせたためである。

    兵を率いて肥後に入った鍋島直茂は三池城の戦いで三池氏を攻略すると、次は小代一族の小代越前守らが守る肥後梅尾城を落とし、小代氏の本城である筒ヶ嶽城を包囲する。

    城兵100余が討死するなか、小代親忠・親泰父子は降伏開城し龍造寺隆信の軍門に降った。

    その後小代親忠・親泰は、龍造寺軍の肥後平定で活躍する。

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  • 山下城の戦いやましたじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1579年4月9日 ~ 11月3日

    福岡県八女郡立花町北山山下

    WIN

    蒲池鑑広

    LOSE

    天正7年(1579年)4月8日、龍造寺隆信は肥前・筑前の軍勢2万余で、蒲池鑑広が守る筑後山下城を包囲する。

    筑後柳川城主の蒲池鎮竝は龍造寺氏に従っていたが、同族で筑後では一二を争う規模の豪族である蒲池鑑広は抵抗を続けていたからである。

    9日から城攻めを開始した龍造寺勢は、翌10日には城下を焼き払う。

    鑑広は周囲に砦を築いて籠城を続けていたが、11月3日、 筑前で秋月氏らと戦っていた大友勢が毛利勢の動きを見て本国の豊後に帰陣したため降伏した。

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  • 猫尾城の戦いねこおじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1582年1月

    福岡県八女郡黒木町北木屋

    黒木家永

    LOSE

    天正9年(1581年)5月、 龍造寺隆信がすでに帰服していた筑後柳川城主の蒲池鎮漣を村中城に呼び寄せて謀殺し、鎮漣の一族を殺戮し、柳川の蒲船津城にいた弟の蒲池益種も討ち死にする。

    これにより、猫尾(黒木)城主の黒木家永ら筑後の国衆が龍造寺氏に反旗を翻す。

    天正10年(1582年)正月、龍造寺氏の家臣の鍋島信生(直茂)ら5000余の兵で筑後に向かうと猫尾城を兵糧攻めにする。

    抗戦の不利を悟った家永は、筑後発心城主の草野家清を通じて降伏し、嫡子の四郎丸を人質として龍造寺氏に差し出し和睦した。

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  • 蒲船津城の戦いかまふなつじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1582年1月

    福岡県三橋町蒲船津

    蒲池益種

    LOSE

    編尾城を攻略した鍋島信生(直茂)率いる龍造寺勢は、勢いに乗じて筑後蒲船津城を攻撃する。

    蒲船津城は龍造寺隆信に謀殺された柳川城主の蒲池鎮竝(鎮漣)の支城で、猫尾城主・黒木家永の実弟の蒲池益種が守っていた。

    益種は城兵200余とともに籠城したが、わずか1日で落城し益種は討ち取られた。

    城を落とされ逃げ場を無くした城兵達は、塩塚城を目指し敵の包囲網を突破するも、鍋島勢によって大半の兵が討ち取られてしまった。

    こののち隆信は龍造寺四天王の百武賢兼をこの蒲船津城に入れている。

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  • 鷹尾城の戦いたかおじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1582年10月4日 ~ 1583年11月27日

    福岡県柳川市大和町鷹ノ尾

    帖佐宗光

    田尻但馬

    LOSE

    天正8年(1580年)の柳川城の戦いに功のあった筑後鷹尾城主・田尻鑑種が、 天正10年(1582年)9月に龍造寺隆信に反旗を翻し島津方についた。

    このため人質として龍造寺氏に送られていた一族の田尻鎮清の子は、見殺しにされてしまう。

    鑑種は諸所を放火の上で居城の鷹尾城に籠城した他、縁戚をそれぞれ江ノ浦城・濱田城・津留城・堀切城に配置し、同じく籠城させた。

    肥前・筑後の軍勢3万余を率いて出陣してきた隆信の家臣・鍋島信生(直茂)に対し、鑑種島津義久に援軍の依頼をし、義久は帖佐宗光・田尻但馬ら300余を鷹尾城へ送っている。

    支援を得ながら籠城を続けたが、天正11年(1583年)11月に降伏開城した。

    援軍の島津勢が退去すると、龍造寺隆信は鷹尾城を破却した。

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  • 辺春城の戦いへばるじょうのたたかい [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]

    1582年10月14日 ~ 1583年3月11日

    福岡県八女郡立花町上辺春

    辺春紹真

    LOSE

    筑後鷹尾城主の田尻鑑種龍造寺隆信に反旗を翻すと、筑後辺春城主の辺春紹真(紹心)も鑑種に呼応して挙兵し、豊後の大友宗麟からの援軍を引き入れようとした。

    これに危機感を覚えた鍋島信生(直茂)率いる龍造寺勢は30000余の兵をもって天正10年(1582年)10月14日に辺春城を包囲し、合わせて田尻氏の鷹尾城への攻撃を仕掛けた。

    堅城の辺春城で5ヶ月間近く籠城を続けたが、天正11年(1583年)3月11日に紹真は後詰軍の当てが期待出来ずこれ以上の抗戦の不利を悟り、辺春城から逃げ出した。

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  • 慶州城の戦いキョンジュじょうのたたかい [文禄の役]

    1592年4月20日

    慶尚北道慶州市

    徐礼元

    朴毅長

    LOSE

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  • 臨津江の戦いイムジンガンのたたかい [文禄の役]

    1592年5月18日

    京畿道坡州市

    金命元

    李陽元

    李陽元

    LOSE

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  • 柳川城の戦いやながわじょうのたたかい [九州の関ヶ原]

    1600年9月 ~ 10月25日

    福岡県柳川市本城町

    黒田如水加藤清正鍋島直茂らとともに、筑後柳川城の立花宗茂を包囲する。
    宗茂は、関ヶ原の戦いでは西軍に属して戦っており、島津氏とともに大坂を脱出して帰国したのち、居城の柳川城に籠城していた。
    柳川城の堅牢ぶりや宗茂の猛勇を知る3将は宗茂を説得し、10月25日降伏開城を受諾させた。
    その後宗茂は、一命を助けられたうえで改易されたが、のち再び大名に取り立てられ柳川藩10万石余の藩主となっている。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬