武将名鑑【覇道】
森長可(もりながよし)
森長可(もりながよし)
森長可 の能力値 | |||||
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統率
部隊の攻撃や防御を定め、通常攻撃のダメージに影響 |
330 (100 位) | ||||
武勇
部隊の武勇を定め、武勇戦法ダメージ、状態変化率に影響 |
456 (73 位) | ||||
知略
部隊の知略を定め、知略戦法のダメージ、状態変化率に影響 |
201 (110 位) | ||||
政治
部隊の破壊を定め、要所や城門などへのダメージに影響 |
185 (109 位) | ||||
合計 | 1172 (100 位)105人中 | ||||
戦闘力 | 2340 | ||||
天賦 | 550 | ||||
b | |||||
a | |||||
b |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
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レアリティ | 織田家臣。可成の嫡男。伊勢長島一向一揆鎮圧や武田家征伐に参戦し「鬼武蔵」の異名をとった。本能寺の変後は豊臣秀吉に従い、小牧長久手合戦で戦死した。 | ||||||||||
声優(CV) | 前野智昭 | ||||||||||
戦法 | |||||||||||
鯨波 | 自身1部隊の攻撃、武勇を10%上昇 |
技能
豪勇
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 矢倉に任命した場合、任命効果+8% |
Ⅱ | 矢倉に任命した場合、任命効果+16% |
Ⅲ | 矢倉に任命した場合、任命効果+24% |
秘伝
騎馬の教え
条件 : 条件なし
系統 : 武将
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 習得した武将の統率+15 習得した武将の騎馬兵科適性をBにする |
Ⅱ | 習得した武将の統率+30 習得した武将の騎馬兵科適性をBにする |
Ⅲ | 習得した武将の統率+45 習得した武将の騎馬兵科適性をBにする |
Ⅳ | 習得した武将の統率+60 習得した武将の騎馬兵科適性をBにする |
Ⅴ | 習得した武将の統率+60 習得した武将の騎馬兵科適性をAにする |
森長可が登場する合戦
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飯田城の戦い(いいだじょうのたたかい) [織田信長の甲斐・信濃平定]
1582年2月14日 ~ 15日
長野県飯田市追手町
滝沢要害が陥落して織田信長の軍勢が信濃に侵入すると、信濃松尾城主・小笠原信嶺は戦わずに織田軍に下り、梨子野峠から森長可ら織田軍の先陣を招き入れます。
小笠原信嶺や森長可らは、下伊那における武田方の拠点で武田勝頼配下の保科正直・坂西織部らが守っていた飯田城に向かった。
しかし織田勢の来襲をみると、2月14日の夜、城を捨てて敗走する。
翌15日の早朝、森長可は飯田城の城兵を追撃し、坂西織部らが討ち取られた。
小笠原信嶺の離反に対し勝頼は人質であった信嶺の母を処刑した。
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立花山の戦い(たちばなやまのたたかい) [賤ヶ岳の戦い]
1583年1月8日 ~ 1月12日
岐阜県美濃市立花
天正11年(1583年)正月、神戸信孝の命により、美濃郡上八幡城主の遠藤慶隆と美濃木越城主の遠藤胤基ら300余騎は、羽柴秀吉方についた靴尾山城主・佐藤秀方の須原砦・洞戸砦を攻略すると、長良川を挟んで蛇尾山と対峙する立花山(現美濃市)に布陣した。
1月8日、佐藤秀方から後詰を要請された秀吉は美濃金山城主の森長可に池田恒興・一柳直末らをつけて送り込み、立花山を攻囲した。
これに対し遠藤慶隆は信孝に救援を求める密使を送ると、信孝は守備の功労を誉め援軍派遣を約束したが援軍は来なかった。
2月には、糧道を絶たれ馬具の熊皮まで焼いて食すようになり、木尾・三日市(ともに現郡上市美並町)の住人が酒樽に米を詰め酒と称して送り、山道から陣中に運び入れて一時の急を救ったものの、攻囲はますます厳しくなり遠藤方は決死の突撃を覚悟した。
同年4月、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が滅ぼされ、信孝が秀吉に降伏すると、佐藤秀方より軍使が来て信孝の敗北が知らされ、開城勧告がなされた。遠藤慶隆は石神兵庫・遠藤利右衛門を人質として送り、母野(現郡上市美並町)で両軍の和議が成り遠藤氏は秀吉の配下に入った。
佐藤秀方は、この戦を機に秀吉の武将となり、武儀郡の大半を領有(石高2万5,000石といわれる)した。
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犬山城の戦い(いぬやまじょうのたたかい) [小牧・長久手の戦い]
1584年3月13日
愛知県犬山市犬山
犬山城天守閣からの眺め
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羽黒の戦い(はぐろのたたかい) [小牧・長久手の戦い]
1584年3月17日
愛知県犬山市羽黒
徳川家康が尾張小牧山城に本陣をおくと、羽柴秀吉方の池田恒興とその女婿・森長可が小牧山城の攻撃を図る。
しかしこの動きはすぐに徳川軍に知られ、同日夜半に家康配下の松平家忠・酒井忠次・奥平信昌・榊原康政らは5000余の兵を率いてひそかに打って出て、池田勢と合流すべく尾張羽黒に滞陣していた森勢の陣を急襲する。
翌3月17日早朝、酒井勢の奇襲により森勢は300余が討ち取られたという。
恒興は3万余の軍勢を率いて駆けつけたが、徳川勢は池田勢との衝突を避け、小牧山城に退いた。
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長久手の戦い(ながくてのたたかい) [小牧・長久手の戦い]
1584年4月9日
愛知県愛知郡長久手町
長久手古戦場
森長可が登場する記事一覧
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