武将名鑑【信長の野望 新生】
山内一豊(やまうちかずとよ)
山内一豊(やまうちかずとよ)
山内一豊 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
71 (357 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
74 (262 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
61 (846 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
70 (396 位) | ||||
合計 | 276 (265 位)2201人中 |
山内一豊 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
幼名 | 辰之助 | ||||
仮名・通称 | 伊右衛門 猪右衛門 対馬守 | ||||
法号・戒名 | 大通院殿心峯宗伝大居士 | ||||
父 | 山内盛豊 | ||||
母 | 法秀尼(梶原氏) | ||||
配偶者・正室 | 山内千代 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1546年 | 織田家臣。妻・千代の内助の功が著名。本能寺の変後は豊臣秀吉に属す。関ヶ原合戦の際は居城・掛川城を徳川家康に献上し、戦後、土佐高知24万石を得た。 | |||||||||
死亡年 | 1605年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
革新 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
|||||||||||
牢固 | 自部隊の防御上昇 | ||||||||||
修繕 | 所属城の耐久自然回復量上昇 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
|||||||||||
威圧 | 敵部隊の攻撃低下 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 元服前 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 元服前 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 15 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 25 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 37 |
山内一豊が登場する合戦
-
亀山城の戦い [賤ヶ岳の戦い]
1583年2月16日 ~ 3月3日
三重県亀山市本丸町
WIN
滝川益氏
LOSE
本能寺の変後に織田信孝方から羽柴秀吉方となっていた伊勢亀山城主の関盛信は、天正11年(1583年)正月に秀吉へ年賀の挨拶をするため子の一政ととも姫路城を訪れた。
その城を留守にした隙に、滝川一益は亀山城を奪取し、腹心の滝川益氏を入れた。
2月に秀吉は兵20,000を率いて伊勢の滝川一益領へ侵攻。
羽柴秀吉・羽柴秀長・羽柴秀次・織田信雄・掘秀政・山内一豊・高山右近・蒲生氏郷らが長島城、桑名城、亀山城を攻撃した。 -
山中城の戦い [豊臣秀吉の関東平定]
1590年3月29日
静岡県三島市山中新田・田方郡函南町柏谷城山
3月29日、羽柴秀次を総大将とする中村一氏・田中吉政・山内一豊・堀尾吉晴・一柳直末ら6万8000余の豊臣勢は、箱根を守る山中城を攻撃する。
山中城には、城番の松田康長のほか相模玉縄城主の北条氏勝や松田康郷・蔭山氏広・間宮康俊らが入り、3000余の兵で守っていた。間宮康俊は寄親の北条氏勝らを撤退させて、自らは手勢200を率いて三ノ丸~岱崎出丸辺りで豊臣方に苛烈に抗戦したために、豊臣方も一柳直末など多くの戦死者を出した。
しかし圧倒的な戦力差を前に力攻めを行われわずか半日で落城し、北条方の松田康長・間宮康俊などの武将や2000余の城兵が討ち取られた。
城を脱出した北条氏勝は玉縄城に逃げ戻った。 -
米野の戦い [関ヶ原の戦い]
1600年8月22日
岐阜県羽島郡笠松町・岐南町一帯
慶長5年(1600年)8月20日、清須城で岐阜城攻めが決まったとき、東軍の池田輝政・浅野幸長・堀尾忠氏・山内一豊・有馬豊氏ら1万8000余は、木曾川上流から岐阜城に進軍することとなった。
これに対し、西軍についた岐阜城主の織田秀信は、百々綱家・飯沼長資と木造具康・具政父子ら9000余で東軍を迎え撃つ。
翌22日明方、池田輝政ら率いる東軍は木曽川を渡河し、西軍は鉄砲で応戦する。
昼には羽栗郡米野村で激戦を繰り広げたが、その日の夕方には戦いは終わり、衆寡敵せず西軍は総崩れになった。
西軍の飯沼長資は戦死し、百々綱家ら残兵は岐阜城へ敗走した。
山内一豊が登場する記事一覧
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