今日は何の日?

  • ● 1548年 今川軍が第一次小豆坂の戦いで織田信秀を撃破する
  • ● 1574年 羽柴(豊臣)秀吉が近江長浜の領民に田地を開墾した者に土地を与えるとの御触書を出す
  • ● 1548年 今川軍が第一次小豆坂の戦いで織田信秀を撃破する
  • ● 1574年 羽柴(豊臣)秀吉が近江長浜の領民に田地を開墾した者に土地を与えるとの御触書を出す

歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」の攻略サイト

この人誰?

内藤清成

views : 4358

愛洲移香斎(あいすいこうさい)は何をした人?剣術三大源流の一つ「陰流」の祖【マイナー武将列伝】

愛洲移香斎(あいすいこうさい)は何をした人?剣術三大源流の一つ「陰流」の祖【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回紹介するのは剣豪・ 愛洲 移香斎(あいす いこうさい)です。

一体何をした人なんでしょうね。
それでは見ていきましょう!

目次[非表示]

剣術家。本名は久忠。日向鵜戸の岩屋に参籠した際、奥義を授かり「影流」を創始したといわれる。子の宗通は剣聖・上泉信綱の師である。

愛洲移香斎の生まれ

享徳1年(1452年)、三重県度会(わたらい)郡南伊勢町五ヶ所浦に愛洲移香斎久忠は生まれました。

この南伊勢町五ヶ所浦を拠点とする豪族「愛洲氏」の一族です。

愛洲氏は熊野水軍の出身で、南北朝時代のころ伊勢に移り、度会郡五所ヶ浦を中心に勢力を張ったといわれています。
城・館址が残っています。

幼少より刀槍の術を好み、剣術の才能があったため、武者修行をもって生業とし、長じると武者修行ため諸国を巡る旅に出ました。

六角定頼らに弓術を教えたという説もあります。

子孫である秋田県の平澤家に伝わる文書・『平澤家伝記』(久忠の9世孫・平澤通有の著)によると、本名は愛洲太郎左衛門久忠、また左衛門尉、日向守、惟孝とも称しています。

愛洲陰流の祖 霊験により開眼する

九州や関東で武芸を磨き、1487年(長享1 愛洲移香斎が36歳の時)日向国の鵜戸権現の岩屋(現・宮崎県日南市鵜戸村)に籠もり厳しい修行を行っていました。
参籠すること37日、神託を得,霊験を得て、刀法の極意を感得し「陰流」を開きました

クモの動きからヒントを得て影流を開眼したとも伝えられています。

それにあやかり日向守を以降名乗るようになりました。

ひたすら諸国を巡って修行していたが愛洲移香斎が67歳の時、長男の宗通が誕生。

明にまで行った?

一説には愛洲移香斎は若いときに各地へ渡航し、明にまで行ったとされていますが、『武芸流派大事典』では、海外での貿易・略奪にかかわるものではないかとしています。また、愛洲移香斎の出身とみられる伊勢愛洲氏がこれに従事したと考えられるため久忠も関係があったとされています。

明の武術書《武備志》に陰流目録の一部、猿によって刀法を示した図が載っているようです。

剣術三大源流

愛洲移香斎久忠が起こした「陰流(愛洲陰流)」は剣術の源流の一つです。

剣術が最も盛んだった江戸時代には、600もの流派があったと言われていますが、その源流をたどっていくと3つの流派に集約され、「陰流(愛洲陰流)」は「念流」「神道流」と合わせて「剣術三大源流」とも呼ばれています。

陰流は上泉伊勢守秀綱に伝わり「新陰流」として確立され発展し、それが柳生石舟斎に継がれ「柳生新陰流」となり、多くの有力な流派を生んで隆盛しました。

愛洲移香斎久忠が生まれた南伊勢町の「愛洲の里・愛洲の館」では、剣術「陰流・影流」の祖、剣道の始祖とされる「愛洲移香斎」の偉業を讃える「剣祖祭」「愛洲氏顕彰祭」が執り行われ、19団体130人以上の剣士が木刀や真剣などを使い日頃の鍛錬の成果を奉納演武しているようです。

愛洲移香斎久忠の長男の小七郎宗通(惟脩(いしゅう)、元香斎(げんこうさい))は1560年頃関東に下り、上泉伊勢守秀綱や佐竹常陸介義重(ひたちのすけよししげ)らに陰流の奥義を伝えたと言われています。

晩年

晩年は日向守と称し日向に住み、天文7年(1538年)、87歳で死去しました。
家は子の小七郎宗通(元香斎)が継いだ。

まとめ

いかがでしたか?

剣術三大源流「愛洲陰流」の祖である愛洲移香斎

岩窟で陰流を開いた話は胡散臭いですが、さまざまな流派に引き継がれたことから素晴らしい考え方だったのでしょう!

それでは、今後も剣豪列伝をアップしていくのでよろしくお願いします!

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
現在フリーランスとしてwebサイトの開発をやっています!よろしく!

公式Twitterはこちら

プロフィールはこちら

ランキングアイコン

[剣豪]関連記事一覧

おすすめ記事一覧

ページトップへ

旧国名を見る

閉じる

※地図上にマウスを当ててみてね

※地図上をタップしてみてね

名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬