武将名鑑【信長の野望 新生】
前田利常(まえだとしつね)
前田利常(まえだとしつね)
前田利常 の能力値 | |||||
---|---|---|---|---|---|
統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
21 (2188 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
48 (1427 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
71 (398 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
85 (69 位) | ||||
合計 | 225 (937 位)2201人中 |
前田利常 の基礎データ | |||||
---|---|---|---|---|---|
性別 | 男 | ||||
別名 | 利光 | ||||
幼名 | 猿千代 犬千代 | ||||
仮名・通称 | 松平筑前守 小松中納言 | ||||
法号・戒名 | 微妙院殿一峯克巌大居士 | ||||
父 | 前田利家 | ||||
養父 | 前田利長 | ||||
母 | 東丸殿 | ||||
配偶者・正室 | 珠姫(徳川秀忠の娘) | ||||
側室1 | 古和 | ||||
側室2 | 栗 | ||||
側室3 | 五条局、京極方、寺尾氏 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1593年 | 加賀金沢藩主。利家の四男。兄・利長の跡を継ぐ。大坂の陣に参陣して功を立てた。藩の存続に努め、江戸幕府の警戒を欺くために愚鈍を装っていたともいう。 | |||||||||
死亡年 | 1658年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
革新 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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血気 | 合戦で積極的に部隊攻撃を行う | ||||||||||
数奇 | 家宝をまれに入手 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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治癒 | 自部隊の兵力回復 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 未登場 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 未登場 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 未登場 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 未登場 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 未登場 |
前田利常が登場する合戦
-
真田丸の戦い [大坂冬の陣]
1614年12月4日
大阪府大阪市天王寺区真田山
LOSE
豊臣秀吉が築いた大坂城は上町台地の北端に位置し、三方を猫間川・平野川・大和川・淀川・東横堀川などの河川堀の役目をし守られていたが、地続きとなる南方だけは空堀のみであった。
そのため豊臣方は、手薄である南面を防御するため、惣構の外に出丸を築いていた。
真田信繁(幸村)によって築かれたので、この出丸を俗に真田丸という。豊臣方が大坂城付近の砦を放棄して城内に撤収した後、徳川幕府軍は大坂城を包囲した。
真田丸正面には前田利常率いる兵12,000の他、南部利直、松倉重政、榊原康勝など数千、八丁目口・谷町口には、井伊直孝の兵4,000、松平忠直の兵10,000、他数千が布陣していた。
真田丸には真田信繁指揮下の兵5,000、八丁目口・谷町口には木村重成、後藤又兵衛、長宗我部盛親など、兵12,000以上が配置されていた。12月2日、徳川家康は茶臼山陣城(大塚城)に出向き巡検を行い、徳川秀忠も出向いた後帰陣した(合戦後に家康は茶臼山へ、秀忠は岡山へ本陣を移した)。家康は前田利常に、塹壕を掘り、土塁を築き、城を攻撃しないよう指示した。
真田丸の前方には篠山と呼ばれる丘があり、真田が兵を配置していた。前田勢が塹壕を掘り始めると、真田勢が火縄銃で篠山から狙撃し作業を妨害した。12月3日、大坂城内で南条元忠が幕府軍に内通していることが発覚したため、南条は城内で切腹させられた。
しかし豊臣軍は南条が引き続き内応しているように見せかけ、幕府軍を欺いた。12月4日、前田勢は、篠山からの妨害に悩まされていたため篠山の奪取をもくろんだ。
前田勢の先鋒・本多政重、山崎長徳らが夜陰に乗じて篠山に攻め上がったが、真田勢は城内に撤収しておりもぬけの殻だった。
夜が明けると、前田勢を真田勢が挑発した。
前田勢は挑発に乗り、真田丸に突撃。
真田勢は前田勢が城壁に十分近づいた所に火縄銃で射撃を行う。
前田利常は、将達が命令なく攻撃して軍が損害を被ったと怒り、兵を撤収させようとした。前田勢の攻撃を知った井伊、松平勢もそれにつられる形で八丁目口・谷町口に攻撃を仕掛けた。
この時、城内で火薬庫が誤って爆発する事故がおこったが、その音を聞いた幕府軍は南条の内応によるものと勘違いし、さらに激しく攻めかける結果になった。
豊臣軍は城壁に殺到する幕府軍に対しここでも損害を与えた。これらの惨状を知った家康は退却を命じた。
しかし、竹束や鉄楯を持たずに攻めてしまっていたため、敵の攻撃に身動きがとれず退却は難航、15時をすぎようやく完了した。退却後、家康は各将を呼んで軽率な行動を叱責し、以後、竹束・鉄楯を必ず使用するよう厳命した。
この戦いで徳川方は数千人が討ち取られたという。 -
岡山口の戦い [大坂夏の陣]
1615年5月7日
大阪府大阪市生野区勝山北・南一帯
徳川秀忠 (36)前田利常 (22)本多康俊 (46)本多康紀 (36)片桐且元 (59)井伊直孝 (25)藤堂高虎 (59)細川忠興 (52)黒田長政 (47)加藤嘉明 (52)立花宗茂 (48)土井利勝 (42)本多正信 (77)三枝昌貞 (78)本多忠純 (29)WIN
大野治房 (43)LOSE
5月7日、ついに徳川家康は大坂城に総攻撃をかける。
このとき家康は子の秀忠を岡山口の総大将としました。
先鋒は大将を前田利常とし本多康俊、本多康紀、片桐且元ら計20,000。
二番手は井伊直孝、藤堂高虎勢の計7,500と細川忠興隊。その後方に徳川秀忠の本陣23,000を置いた。
一説には一番手と二番手の間に黒田長政、加藤嘉明が参陣していたといわれる。徳川秀忠は天王寺方面の銃声を聞き進撃を開始。
このとき立花宗茂は秀忠本陣が突出しては敵の突擊を誘うため後退すべきと建言したが聞き入れられなかった。戦闘が始まると先鋒の前田勢は大野治房勢に崩され、これを支援するために二番手の井伊直孝、藤堂高虎勢が動く。
この陣立ての乱れに乗じた大野勢が秀忠本陣に殺到し、旗本先手の土井利勝勢が崩れ一時大混乱となった。そのため秀忠自身が鑓を手に取り戦おうとするが、本多正信は「大局的に見れば味方は勝っており将軍自ら手を下す必要はない」と諫め止めたという。
黒田長政、加藤嘉明勢によって敵を防ぎつつ秀忠は本陣を後退させようとしたが、立花宗茂は敵は疲態でこれ以上の攻撃できず、また後退すると士気が下がると再び建言した。
旗奉行の三枝昌吉が旗を立て直すと散っていた将兵が集まりだし、次第に秀忠軍は攻勢をはね除け反撃に転じ始めた。この間、後詰の大野治長、七手組は秀頼の出馬を待っていたが、淀殿の説得に手間取り秀頼が出馬した頃には家康・秀忠本陣に突撃した豊臣方の軍勢はすでに撃退されていた。
体勢を立て直した幕府方の圧倒的兵力と火力の前に豊臣方の陣立ては15時頃には崩れ、毛利勝永指揮の殿のもとに城内へ総退却した。
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