今日は何の日?

  • ● 1571年 武田信玄、勝頼父子が徳川方の三河足助城を攻略
  • ● 1606年 柳生新陰流の祖・柳生宗厳が死去。享年78歳
  • ● 1571年 武田信玄、勝頼父子が徳川方の三河足助城を攻略
  • ● 1606年 柳生新陰流の祖・柳生宗厳が死去。享年78歳

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この人誰?

阿梅

武将名鑑【信長の野望 新生】

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前田利長(まえだとしなが)

前田利長 の能力値
統率

出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。

64 (597 位)
武勇

出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、
城の攻撃力に影響する。

51 (1275 位)
知略

出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、
また戦法のダメージに影響する。

54 (1255 位)
政務

城の収入に影響する。

70 (396 位)
合計 239 (673 位)2201人中
前田利長のグラフィック画像
前田利長 の基礎データ
性別
別名 利勝
幼名 犬千代
仮名・通称 孫四郎 肥前守 越中少将
法号・戒名 瑞龍院殿聖山英賢大居士
前田利家
まつ
配偶者・正室 永姫(織田信長の娘)
前田利長の自画像
その他のデータ 列伝
誕生年 1562年 利家の嫡男。家督を相続後、謀叛の兆しありとの噂が流れるが、母・芳春院を人質に出して討伐を免れた。関ヶ原合戦で東軍に属し、加賀100万石を領した。
死亡年 1614年
主義

革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。
また、政策の発令条件になっている。

革新
特性

武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。

作事 城下施設の建設速度上昇
戦法

合戦で使える特殊な技。
部隊を強化したり、ダメージを与えたり、
様々な効果を得られる。

罵声 敵部隊の防御低下
シナリオ
年月 シナリオ 年齢
1546年1月 信長元服 未登場
1553年4月 尾張統一 未登場
1560年4月 桶狭間の戦い 未登場
1570年4月 信長包囲網 元服前
1582年5月 夢幻の如く 21

前田利長が登場する合戦

  • 鳥越城の戦いとりごえじょうのたたかい [羽柴秀吉の越中平定]

    1585年4月8日

    石川県河北郡津幡町鳥越

    久世但馬守

    WIN

    天正12年(1584年)9月の末森城の戦いで前田利家に敗れて撤退した佐々成政は、越中富山城への帰途に利家の属城の鳥越城を奪取する。
    鳥越城を500余の兵で守っていた目賀田又右衛門・丹羽源十郎らは、末森城の戦いに利家が敗北したとの誤報を受け、城を捨てて逃げ去っていたという。

    楽々と奪取した鳥越城に配下の久世但馬を置き、佐々成政は富山城に戻った。

    それを知った前田利家は激怒し、10月14日に自ら兵を率いて鳥越城を攻めるもる佐々勢の激しい抵抗にあい退却した。
    翌天正13年(1585年)4月、利家は嫡男・利勝(利長)とともに再度鳥越城を攻撃するが、奪還はならなかった。

    その後鳥越城から逃げた目賀田又右衛門は追放され、同じ六角氏の家臣だった蒲生氏郷を頼り、前田家に帰れるようとりなしてもらうも帰参は許されなかった。

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  • 岩石城の戦いがんじゃくじょうのたたかい [豊臣秀吉の九州平定]

    1587年4月1日

    福岡県田川郡添田町

    WIN

    熊井久重

    LOSE

    天正15年(1587年)3月28日、豊臣秀吉は関門海峡を渡ってついに九州に上陸した。

    この日のうちに豊前小城城に入った秀吉は、29日に馬ヶ岳城に移り、ここを本陣として筑前古処山城主・秋月種実の属城である岩石城を攻撃した。

    天険の要害で秋月家の属城で最も堅牢な岩石城を守る熊井越中守久重ら3000の兵は防戦に努めたものの、羽柴秀勝を大将とする蒲生氏郷前田利勝(利長)らの猛攻を受け、わずか1日で落城し熊井久重は討死している。

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  • 鉢形城の戦いはちがたじょうのたたかい [豊臣秀吉の関東平定]

    1590年5月19日 ~ 14日

    埼玉県大里郡寄居町鉢形

    鉢形城 曲輪

    鉢形城 曲輪

    5月19日、前田利家利長父子、上杉景勝真田昌幸の北国勢と、浅野長政本多忠勝・島田利正・鳥居元忠ら徳川勢の連合軍は、3万5000余の軍勢で武蔵鉢形城を包囲する。

    城主の北条氏邦は、小田原城で籠城している北条氏政の弟であった。

    鉢形城は稀に見る頑強な要害であったため、1ヶ月近く籠城を続けたものの、抗戦の不利を悟って降伏開城する。

    このとき自刃するため菩提寺正龍寺に入った氏邦は、利家によって一命を助けられ、のち利家とともに金沢に移った。

    徳川家康の関東討入にともない、鉢形城は成瀬正一・日下部定好が代官となって周辺の統治を行った。

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  • 大聖寺城の戦いだいしょうじじょうのたたかい [関ヶ原の戦い]

    1600年8月3日

    石川県加賀市大聖寺錦町

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  • 浅井畷の戦いあさいなわてのたたかい [関ヶ原の戦い]

    1600年8月9日

    石川県小松市北浅井町・南浅井町

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前田利長が登場する記事一覧

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬