武将名鑑【信長の野望 新生】
本多正信(ほんだまさのぶ)
本多正信(ほんだまさのぶ)
本多正信 の能力値 | |||||
---|---|---|---|---|---|
統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
29 (2110 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
29 (2107 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
92 (22 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
93 (15 位) | ||||
合計 | 243 (605 位)2201人中 |
本多正信 の基礎データ | |||||
---|---|---|---|---|---|
性別 | 男 | ||||
別名 | 正保 正行 | ||||
仮名・通称 | 弥八郎 佐渡 | ||||
法号・戒名 | 善徳納誨 | ||||
父 | 本多俊正 | ||||
母 | 松平清康の侍女 | ||||
配偶者・正室 | 寿林尼 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
誕生年 | 1538年 | 徳川家臣。三河一向一揆に身を投じて主家を離反、諸国を放浪したのちに帰参。行政と謀略に優れた手腕を発揮した。主君・家康には「友」と呼ばれたという。 | |||||||||
死亡年 | 1616年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
中道 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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作事 | 城下施設の建設速度上昇 | ||||||||||
防災 | 同一城に属する全ての郡で災害回避上昇 | ||||||||||
能史 | 街道に関する具申が可能 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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治癒 | 自部隊の兵力回復 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 元服前 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 元服前 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 23 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 33 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 45 |
本多正信が登場する合戦
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伏見城の戦い [関ヶ原の戦い]
1600年7月19日 ~ 8月1日
京都府京都市伏見区桃山町
宇喜多秀家 (28)石田三成 (40)前田玄以 (61)本多正信 (62)鈴木重朝 (39)島津義弘 (65)小早川秀秋 (18)大谷吉継 (41)毛利秀元 (21)吉川広家 (39)小西行長 (41)長宗我部盛親 (25)鍋島勝茂 (20)長束正家 (44)WIN
LOSE
伏見城
慶長5年(1600年)6月16日、徳川家康は大坂城を出て山城伏見城に移動し、6月18日には守将の鳥居元忠と別れの宴を行った後、上杉討伐のため会津に向かった。
一方、大坂城の前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行は、7月17日に家康が大坂城西の丸に残していた留守居役を追放して、家康に対する13か条の弾劾状を発布する。
これに先立つ7月15日の時点で、伏見城では鳥居元忠らが籠城を始めており、西軍はこれに対する攻撃の準備を行う。
7月19日、西軍の宇喜多秀家の軍勢による攻撃が本格的に始まった。
伏見城は初めは反撃して前田玄以や長束正家の屋敷を焼き払うなどするが、その後は攻撃側からの大量の鉄砲攻撃にさらされ、29日には、石田三成の4万余の大軍で包囲されてしまう。
攻め手は築山(小山)を築いてそこに大筒・石火矢を設置したり、堀を埋めるなどするが十分に防御された城は容易に落ちなかった。
しかし、孤立した城は8月1日に落城する。
鳥居元忠は鉄砲頭の鈴木孫三郎(鈴木重朝)に討ち取られ、他にも内藤家長・元長父子、松平家忠、上林竹庵ら以下800人が討ち死にした。
この戦いは9月15日に行われる関ヶ原本戦の前哨戦であり、伏見城は落城するも、少数の兵で西軍の大軍を10日以上も足止めすることで、西軍の美濃・伊勢方面への展開が大きく遅れる原因となった。
また、島津義弘と小早川秀秋は元々東軍に味方するつもりであったが、城側に入城の意思を示したときに拒否され、結局西軍に参加して城攻めに加わっている。
-
岡山口の戦い [大坂夏の陣]
1615年5月7日
大阪府大阪市生野区勝山北・南一帯
徳川秀忠 (36)前田利常 (22)本多康俊 (46)本多康紀 (36)片桐且元 (59)井伊直孝 (25)藤堂高虎 (59)細川忠興 (52)黒田長政 (47)加藤嘉明 (52)立花宗茂 (48)土井利勝 (42)本多正信 (77)三枝昌貞 (78)本多忠純 (29)WIN
大野治房 (43)LOSE
5月7日、ついに徳川家康は大坂城に総攻撃をかける。
このとき家康は子の秀忠を岡山口の総大将としました。
先鋒は大将を前田利常とし本多康俊、本多康紀、片桐且元ら計20,000。
二番手は井伊直孝、藤堂高虎勢の計7,500と細川忠興隊。その後方に徳川秀忠の本陣23,000を置いた。
一説には一番手と二番手の間に黒田長政、加藤嘉明が参陣していたといわれる。徳川秀忠は天王寺方面の銃声を聞き進撃を開始。
このとき立花宗茂は秀忠本陣が突出しては敵の突擊を誘うため後退すべきと建言したが聞き入れられなかった。戦闘が始まると先鋒の前田勢は大野治房勢に崩され、これを支援するために二番手の井伊直孝、藤堂高虎勢が動く。
この陣立ての乱れに乗じた大野勢が秀忠本陣に殺到し、旗本先手の土井利勝勢が崩れ一時大混乱となった。そのため秀忠自身が鑓を手に取り戦おうとするが、本多正信は「大局的に見れば味方は勝っており将軍自ら手を下す必要はない」と諫め止めたという。
黒田長政、加藤嘉明勢によって敵を防ぎつつ秀忠は本陣を後退させようとしたが、立花宗茂は敵は疲態でこれ以上の攻撃できず、また後退すると士気が下がると再び建言した。
旗奉行の三枝昌吉が旗を立て直すと散っていた将兵が集まりだし、次第に秀忠軍は攻勢をはね除け反撃に転じ始めた。この間、後詰の大野治長、七手組は秀頼の出馬を待っていたが、淀殿の説得に手間取り秀頼が出馬した頃には家康・秀忠本陣に突撃した豊臣方の軍勢はすでに撃退されていた。
体勢を立て直した幕府方の圧倒的兵力と火力の前に豊臣方の陣立ては15時頃には崩れ、毛利勝永指揮の殿のもとに城内へ総退却した。
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