武将名鑑【新信長の野望】
最上義光(もがみよしあき)
最上義光(もがみよしあき)
最上氏第11代当主、最上義守の嫡子。
最上義光 の能力値 | |||||
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統率
武将が出撃部隊の主将を務めた際、部隊兵数に影響。 |
644 (9 位) | ||||
武勇
武将が出撃部隊の先鋒を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
437 (32 位) | ||||
智略
武将が出撃部隊の参謀を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
453 (23 位) | ||||
内政
武将委任時の修復効果と所属部隊の採集効率に影響。 |
315 (29 位) | ||||
合計 | 1849 (10 位)84人中 | ||||
戦闘力 | 33412 |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
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レアリティ | 父親に無理矢理譲位させ、弟を殺害、自ら当主となる。密約外交や敵陣重臣の暗殺など、さまざまな手段を使い、最上家の領土を最大にまで拡大した。 | ||||||||||
タイプ | 統 | ||||||||||
適正 | 主将 | ||||||||||
兵科 | 大筒 | ||||||||||
逸話 | |||||||||||
妹の義姫を溺愛。兄・義光と息子の伊達政宗の争いを止めるべく、駕篭でやって来た妹を見て、子供のように泣き出したとの言い伝えがある。 | |||||||||||
コメント | |||||||||||
統率が高いため、最大指揮兵力が多い。 自大筒部隊の包囲値をUP。 大筒の訓練速度が上昇。 |
最上義光が登場する合戦
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天童城の戦い(てんどうじょうのたたかい) [最上義光の南出羽平定]
1577年3月17日
山形県天童市天童
天正5年(1577年)3月、最上義光は最上八楯との戦いを決意して天童頼貞・頼澄父子が守る天童城を攻めた。
しかし八楯の一家である延沢城の延沢満延らが天童城を救援したため攻撃は失敗する。
そこで天童頼貞の娘(天童御前)が義光の側室に入ることで終戦となった。
また義光は、娘を延沢満延の嫡男・康満に嫁がせた。7年後の天正12年(1584年)に再度義光は天童城を急襲する。
延沢氏の裏切りなどがあったため天童氏は敗北し国分盛氏を頼って陸奥国宮城郡に落ちのびた。 -
東根城の戦い(ひがしねじょうのたたかい) [最上義光の南出羽平定]
1581年5月
山形県東根市東根
天童城を落とした最上義光は、東根頼景が守る東根城を攻めた。
東根頼景は、天童頼貞の次男で天童頼澄の弟にあたる。
天童氏に属した有力国人達は次々と最上氏へ鞍替えしたが、頼景はその動きに同調せず最上氏への抵抗を続けていた。天正9年(1581年)5月10日、義光は頼景の家臣・東根(里見)景佐の内応により東根城を総攻撃し、頼景は数十人の部下と共に自刃し非業の死を遂げた。
その後、東根城は東根景佐に与えられた。
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有屋峠の戦い(ありやとうげのたたかい) [安東愛季の北出羽平定]
1586年5月8日 ~ 12日
秋田県湯沢市秋ノ宮
天正9年(1581年)、橋手城の小野寺義道に従っていたこともある鮭延秀綱は、鮭延城の戦いに敗れ山形城の最上義光に降伏していた。
天正14年(1586年)5月3日、小野寺義道が勢力の回復を図るべく騎馬1,000騎、足軽5,000人の軍勢をもって最上領へ侵攻した。
それに対し義光は、騎馬1,500余騎、足軽10,000余人を率いて小野寺勢を最上領と小野寺領の境であった有屋峠で迎え撃つ。
最上勢は小野寺勢の挑発に乗り細い道を進んだため、両側から弓や鉄砲で打ち掛けられ小野寺勢の戦死者38人に対し、最上勢の戦死者は1,000人を越える大損害が出た。
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尾浦城の戦い(おうらじょうのたたかい) [最上義光の南出羽平定]
1587年10月5日
山形県鶴岡市大山
尾浦城の変で、大宝寺義氏が最上義光と結んだ家臣・東禅寺氏永によって謀殺されたあと、大宝寺氏の家督は義氏の弟・義興が継ぐ。
大宝寺義興は、上杉景勝配下の越後本庄城主・本庄繁長の次男・千勝丸を養子として義勝と名乗らせ、上杉氏の力を背景に勢力拡大を図った。
天正15年(1587年)、東禅寺筑前守の内通により、本庄繁長が新発田重家の乱に出陣している間隙をぬって、最上義光と東禅寺氏永が庄内の尾浦城を攻撃する。
一年の籠城による奮戦の末、尾浦城は陥落し義興は自刃した。
田川郡の清水城にいた義勝は越後との国境に近い小国城に逃れた。
最上義光が登場する記事一覧
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