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病弱な父の代わりに日向国2代藩主になった秋月種春(あきづきたねはる)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、日向国高鍋藩2代藩主である秋月種春(あきづきたねはる)です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
秋月種春の一生
秋月種春は、日向国(宮崎県)高鍋藩2代藩主。
父は初代藩主・秋月種長の甥である秋月種貞で母は秋月種長の娘・オチョウです。
初代藩主・秋月種長が亡くなった際、当初は父の種貞が後を継ぐこととなっていたが、種貞が病弱だったので秋月種春が幼少ながら当主となり後を継ぎました。
高鍋藩主であったが15歳になるまで高鍋への下向ができませんでした。
高鍋藩家老の白井種盛・種重親子の専横、およびそれが発端となって発生し40年近くもの長きにわたり続いた騒動である「上方下方騒動」に悩まされ続けたようです。
傀儡的な当主は、青年になると傀儡している部下に対して背いたりしていましたが、江戸時代になると争いごとが禁止されているのでできなかったのでしょうね
万治2年(1659年)、50歳で死去し、跡を長男の種信が継ぎました。
信長の野望での秋月種春
ゲーム信長の野望での秋月種春のパラメーターを見てみましょう。
統率 38 (1871 位)
武勇 35 (1987 位)
知略 43 (1824 位)
内政 48 (1426 位)
外政 43 (1672 位)
合計 207 (1998 位)
2200人中の順位です。
幼少期に大名や当主になった人物はほとんど能力値が低く設定されています。
秋月種春もこれに該当していますね。
まとめ
いかがでしたか?
信長の野望制作会社のコーエーテクモゲームズさんはなぜ秋月種春を採用したのでしょうか?
もっと強そうな武将いると思うんですが…
それでは、今後もランキングの記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。