今日は何の日?

  • ● 1576年 武田勝頼が父・信玄の葬儀を甲斐恵林寺にて行う
  • ● 1605年 徳川秀忠が江戸幕府第二代将軍となる
  • ● 1614年 方広寺大仏殿の鐘が鋳造される
  • ● 1576年 武田勝頼が父・信玄の葬儀を甲斐恵林寺にて行う
  • ● 1605年 徳川秀忠が江戸幕府第二代将軍となる
  • ● 1614年 方広寺大仏殿の鐘が鋳造される

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この人誰?

城親基

武将名鑑【信長の野望 新生】

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里見義堯(さとみよしたか)

里見義堯 の能力値
統率

出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。

85 (58 位)
武勇

出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、
城の攻撃力に影響する。

75 (224 位)
知略

出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、
また戦法のダメージに影響する。

85 (72 位)
政務

城の収入に影響する。

56 (999 位)
合計 301 (135 位)2201人中
里見義堯のグラフィック画像
里見義堯 の基礎データ
性別
幼名 権七郎
法号・戒名 東陽院殿岱叟正五居士
里見実堯
佐久間盛氏の娘
配偶者・正室 長野憲業の娘(長野業正の妹)
側室1 土岐為頼の娘
その他のデータ 列伝
誕生年 1512年 房総の戦国大名。父・実堯を殺した従兄弟・義豊を討ち、当主となる。国府台合戦では北条氏康に敗れたが、その後も房総に勢力を広げ、北条家と戦い続けた。
死亡年 1574年
主義

革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。
また、政策の発令条件になっている。

保守
特性

武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。

一所懸命 同一城に属す全郡で領内行動の集落掌握速度が上昇
城乗 敵城への耐久ダメージ増加
海神 水上での攻撃上昇
戦法

合戦で使える特殊な技。
部隊を強化したり、ダメージを与えたり、
様々な効果を得られる。

混乱 敵部隊に混乱付与
シナリオ
年月 シナリオ 年齢
1546年1月 信長元服 35
1553年4月 尾張統一 42
1560年4月 桶狭間の戦い 49
1570年4月 信長包囲網 59
1582年5月 夢幻の如く 死亡

里見義堯が登場する合戦

  • 犬懸の戦いいぬかけのたたかい [古河公方と小弓公方]

    1534年4月6日

    千葉県南房総市犬掛

    里見義豊

    武田信保

    LOSE

    WIN

    天文2年(1533年)7月、里見氏第4代当主の里見義豊は、叔父の里見実堯と側近の正木通綱が上総進出を狙う小田原城の北条氏綱と接近したため安房稲村城で謀殺した。

    これにより謀殺された実堯の子の義堯(義豊の従兄弟)や正木通綱の息子の正木時茂時忠らは上総真里谷城の武田信隆を頼って落ちのびていた。

    信隆の属城である上総造海城に拠った義堯は、相模の北条氏綱の支援を得て義豊に抵抗を続ける。

    天文3年(1534年)4月6日、信隆と対立するその父の武田信保と結んだ義豊と、信隆・氏綱の加勢を得た義堯とが安房の犬懸で衝突した。

    この戦いで義豊が討たれ、義堯が里見氏の家督を継いだ。

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  • 峰上城の戦いみねがみじょうのたたかい [古河公方と小弓公方]

    1537年5月16日

    千葉県富津市上後

    武田信応

    WIN

    武田信隆

    LOSE

    天文6年(1537年)5月、真里谷武田信隆は、異母弟の信応を排斥すべく、上総の峰上城と造海城に拠って挙兵した。

    信応を支援する小弓公方足利義明が峰上城を攻撃すると、信隆は造海城に籠城した。

    それまで信隆に通じていた里見義堯は関東に勢力を拡大していた北条氏綱に単独で挑むことは難しいと考え小弓公方の足利義明と同盟を結び信応方に寝返り、信隆の造海城を攻撃する。

    和歌を百首詠むことを条件に開城した信隆は、相模の北条氏綱を頼って落ちのび武蔵金沢で庇護され隠居生活を送った。

    これにより小弓公方を中心とする武田・里見氏らと、北条氏との対立が決定的となる。

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  • 国府台の戦いこうのだいのたたかい [古河公方と小弓公方]

    1538年10月5日 ~ 7日

    千葉県市川市国府台

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  • 三浦沖の戦いみうらおきのたたかい [古河公方と上杉氏・北条氏]

    1556年3月10日

    神奈川県三浦市

    土岐頼定

    LOSE

    北条氏綱が天文10年(1541年)に死去したあとも、子の氏康が引き続き、江戸湾の制海権を握るため上総に進出していた久留里城主の里見義堯に対する攻勢を強めていた。

    弘治2年(1556年)3月10日、義堯氏康の上総侵攻の機先を制するため、子の義弘を総大将に正木時茂・土岐頼定ら5000余の軍勢と軍船数十艘で三浦沖まで渡海した。

    これに対し北条側は、氏康や息子の氏政らが城ヶ島に布陣し、里見勢を迎え撃つ。

    この海戦で、里見勢は上陸には成功したものの、三浦半島を制圧するに至らずに上総へ退却した。

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里見義堯が登場する記事一覧

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬