今日は何の日?

  • ● 1557年 毛利元就が周防を平定
  • ● 1574年 織田信長が朝廷より名香木の蘭奢待を拝領する
  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見
  • ● 1557年 毛利元就が周防を平定
  • ● 1574年 織田信長が朝廷より名香木の蘭奢待を拝領する
  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見

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この人誰?

永原孝治

武将名鑑【信長の野望 新生】

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木造具政(こづくりともまさ)

木造具政 の能力値
統率

出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。

56 (1030 位)
武勇

出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、
城の攻撃力に影響する。

47 (1473 位)
知略

出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、
また戦法のダメージに影響する。

64 (683 位)
政務

城の収入に影響する。

51 (1253 位)
合計 218 (1092 位)2201人中
木造具政のグラフィック画像
木造具政 の基礎データ
性別
仮名・通称 戸木御所
渾名 油小路殿
北畠晴具
養父 木造具康
その他のデータ 列伝
誕生年 1530年 北畠家臣。北畠晴具の子。木造家を継いだ。兄・具教に背いて織田信長の軍に降る。その後は織田信雄に属し、小牧長久手合戦では蒲生氏郷軍と戦うが敗れた。
死亡年 1584年
主義

革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。
また、政策の発令条件になっている。

保守
特性

武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。

鉄壁 所属城の耐久ダメージ減少
戦法

合戦で使える特殊な技。
部隊を強化したり、ダメージを与えたり、
様々な効果を得られる。

罵声 敵部隊の防御低下
シナリオ
年月 シナリオ 年齢
1546年1月 信長元服 17
1553年4月 尾張統一 24
1560年4月 桶狭間の戦い 31
1570年4月 信長包囲網 41
1582年5月 夢幻の如く 53

木造具政が登場する合戦

  • 木造城の戦いこつくりじょうのたたかい [織田信長の伊勢平定]

    1569年5月12日 ~ 8月23日

    三重県津市木造町

    木造城は伊勢国司北畠氏領域の最北端に位置する木造氏の居城である。

    永禄12年(1569年)5月、織田信長は伊勢攻略のため、先鋒部隊として滝川一益を送り込みます。

    一益は木造家臣の源浄院(滝川雄利)と柘植三郎左衛門保重を抱き込み、木造城主の木造具政を織田方に寝返らせることに成功。
    木造具政は北畠家当主である具教の実弟で、木造家の養子となり継いでいたが、兄弟仲が悪く織田方になびいてしまった。

    これに対して北畠具教は出兵し、雲出川原にて一戦に及び木造城を包囲。
    しかし城は落ちず、八月になると織田信長率いる十万の大軍が中伊勢に進撃してきたため、北畠勢は退却し大河内城に籠った。

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  • 戸木の戦いへきのたたかい [小牧・長久手の戦い]

    1584年8月14日 ~ 11月15日

    三重県津市戸木町一帯

    羽柴方と織田・徳川方が尾張から兵を退いたあとも、伊勢では信雄方で唯一木造城の木造具康具政父子が羽柴秀吉に従う蒲生氏郷に抵抗を続けていた。

    具政は少数の軍勢を分けるのはよくないということで居城の木造城を捨て、要害の地にあり隠居していた具康が守っていた戸木城で籠城した。

    天正12年(1584年)5月に入り、蒲生軍は木造氏の支城である牧城・川方城・宮山城などを落城させ、戸木城に迫った。

    木造軍1千に対して、蒲生氏郷織田信包を総大将として、約2万の大軍で攻め掛かるも、木造勢は夜襲を仕掛けるなどしてよく守ります。

    11月15日、信雄秀吉が和睦したことにより開城した。

    戦う名分のなくなった徳川家康も、11月21日に兵を浜松に退いたため小牧・長久手の戦いは終結した。

    木造軍には強者が揃っていたとされ、蒲生氏郷は自領を平定した後、木造氏旧臣のうち勇士を召し抱えたとされている。

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  • 米野の戦いこめののたたかい [関ヶ原の戦い]

    1600年8月22日

    岐阜県羽島郡笠松町・岐南町一帯

    慶長5年(1600年)8月20日、清須城で岐阜城攻めが決まったとき、東軍の池田輝政浅野幸長・堀尾忠氏・山内一豊有馬豊氏ら1万8000余は、木曾川上流から岐阜城に進軍することとなった。

    これに対し、西軍についた岐阜城主の織田秀信は、百々綱家・飯沼長資と木造具康具政父子ら9000余で東軍を迎え撃つ。

    翌22日明方、池田輝政ら率いる東軍は木曽川を渡河し、西軍は鉄砲で応戦する。

    昼には羽栗郡米野村で激戦を繰り広げたが、その日の夕方には戦いは終わり、衆寡敵せず西軍は総崩れになった。

    西軍の飯沼長資は戦死し、百々綱家ら残兵は岐阜城へ敗走した。

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木造具政が登場する記事一覧

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬