武将名鑑【信長の野望 新生】
願証寺証意(がんしょうじしょうい)
願証寺証意(がんしょうじしょうい)
願証寺証意 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
71 (357 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
63 (658 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
51 (1421 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
64 (598 位) | ||||
合計 | 249 (530 位)2201人中 |
願証寺証意 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
法号・戒名 | 佐玄 | ||||
父 | 願証寺証恵 | ||||
母 | 如栄(実淳の娘) |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1537年 | 長島願証寺の僧。父・証恵を継いで門跡となる。本願寺顕如の檄に呼応し、織田信長と対立。門徒衆を率いて壮絶な死闘を繰り広げる中、謎の急死を遂げる。 | |||||||||
死亡年 | 1571年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
保守 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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反攻 | 城が強行されたときに攻城部隊へのダメージ増加 | ||||||||||
砲術 | 自部隊の鉄砲LVが上昇 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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急襲 | 敵部隊の兵力減少 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 元服前 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 17 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 24 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 34 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 死亡 |
願証寺証意が登場する合戦
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小木江城の戦い [織田信長の長島一向一揆鎮圧]
1570年11月21日
愛知県愛西市森川町
元亀元年(1570年)9月に本願寺と織田信長が対立し石山合戦が始まった際、主戦派として下間頼成と連署して近隣国人に蜂起を煽る檄文を飛ばし、長島でも門徒勢が蜂起します。長島城を落した門徒勢は11月16日、織田信興(信長の弟)が守る古木江城を襲撃しました。
信興は信長や桑名城の滝川一益に援軍を要請したが、信長は浅井長政・朝倉義景の軍勢と延暦寺の僧兵によって大津に足止めされており(志賀の陣)、一向宗に攻められて籠城していた一益も援軍を出すことができなかった。
6日後の11月21日に古木江城は落城、『信長公記』によれば信興は櫓に上って自害したとされるが、地元では城外で討たれたと伝わっている。この一件を機に信長の一向宗への憎悪はより強まり、門徒約2万人が焼き殺されたとされる1574年(天正2年)の長島焼き尽くしにつながります。
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太田口の戦い [織田信長の長島一向一揆鎮圧]
1571年5月16日
岐阜県海津市南濃町太田
6月4日、信長は伊勢の長島(三重県桑名市)で起きていた一向一揆(伊勢長島一向一揆)を5万の兵を率いて鎮圧するために乗り出します。
織田軍は津島(愛知県津島市)に入り、本陣を構えました。そして、三方向から攻め寄せ、中筋口(桑名市の大鳥居城の辺り)から佐久間信盛、浅井新八、和田新介、中嶋豊後、山田三左衛門、長谷川丹波が進軍します。
多芸山(岐阜県養老町と大垣市上石津町にまたがる山)から大田口(岐阜県海津市南濃町)に向けては、柴田勝家、氏家卜全、稲葉一鉄、市橋長利、不破光治、伊賀平左衛門、塚本小大膳、丸毛長照、飯沼勘平が進軍しました。
8日、大田口の周辺に火を放っていた織田軍をめがけ、願証寺の一揆衆が弓と鉄砲で襲いかかります。
山中の細道で身動きがとれなくなった織田の部隊は乱れ、殿軍の柴田勝家が一揆衆と奮戦するも負傷し退却します。氏家卜全も必死に抵抗したが、一揆衆に囲まれて氏家の家臣もろとも全滅。大田口の合戦で織田軍は惨敗してしまったのである。
一揆衆は、小川村と志村(どちらも滋賀県東近江市)に引き返していきました。
信長の侵攻を防いだ4ヶ月後の元亀2年(1571年)6月6日、願証寺証意は35歳で急逝する。証意の急死を受けて跡を11歳の嫡男・願証寺顕忍が引き継ぐ事となった。
願証寺証意が登場する記事一覧
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