今日は何の日?

  • ● 1557年 毛利元就が周防を平定
  • ● 1574年 織田信長が朝廷より名香木の蘭奢待を拝領する
  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見
  • ● 1557年 毛利元就が周防を平定
  • ● 1574年 織田信長が朝廷より名香木の蘭奢待を拝領する
  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見

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この人誰?

一条信龍

武将名鑑【信長の野望 新生】

武将名鑑アイコン

大井貞清(おおいさだきよ)

大井貞清 の能力値
統率

出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。

43 (1649 位)
武勇

出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、
城の攻撃力に影響する。

35 (1958 位)
知略

出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、
また戦法のダメージに影響する。

43 (1822 位)
政務

城の収入に影響する。

38 (1859 位)
合計 159 (2067 位)2201人中
大井貞清のグラフィック画像
大井貞清 の基礎データ
性別
別名 長窪貞清
大井康光
養父 大井貞隆
その他のデータ 列伝
誕生年 1506年 武田家臣。もとは信濃の豪族で、たびたび武田に攻められ、降伏する。村上義清上杉憲政に内通するが、再び武田に降伏。長篠の戦いに出陣し、討死した。
死亡年 1575年
主義

革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。
また、政策の発令条件になっている。

中道
特性

武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。

鉄壁 所属城の耐久ダメージ減少
戦法

合戦で使える特殊な技。
部隊を強化したり、ダメージを与えたり、
様々な効果を得られる。

足止 敵部隊の機動低下
シナリオ
年月 シナリオ 年齢
1546年1月 信長元服 41
1553年4月 尾張統一 48
1560年4月 桶狭間の戦い 55
1570年4月 信長包囲網 65
1582年5月 夢幻の如く 死亡

大井貞清が登場する合戦

  • 内山城の戦いうちやまじょうのたたかい [武田晴信の美濃平定]

    1546年5月9日 ~ 20日

    長野県佐久市内山

    小山田昌辰

    WIN

    LOSE

    甲斐の武田晴信(信玄)は信濃諏訪郡・伊那郡を制圧した後、信濃佐久郡への侵攻を開始した。

    内山城は佐久から上野国甘楽郡に通じる要衝であり、北に位置する志賀城と共に反武田勢力の拠点であった。

    関東管領・山内上杉憲政の被官である高田憲頼の所領であり、小笠原氏の庶流にあたる大井貞清が内山城を守っていた。

    この先、武田氏が信濃国に深く進出するためには、佐久郡を制圧し、山内上杉氏を牽制する必要があったのである。

    天文15年(1546年)5月9日、そこで晴信は内山城を攻撃する。

    大井勢が頑強に防戦する様子をみた晴信は、力攻めを諦めて兵糧攻めに切り替える。

    10日には水の手を取って城攻めを優位にし、14日には本丸以外を占領した。

    内山城は断崖を要害としてなおも持ちこたえていたが、5月20日、貞清は抗戦の不利を悟り、ついに内山城を開城して野沢へと落ち延びていった。

    晴信は同年7月に内山城の新たな城主として、守備の名手として名高い上原伊賀守虎満(小山田昌辰)を任命し防衛にあたらせた。

    翌年4月16日には、晴信は使者として駒井政武(高白斎)を派遣し、大井貞清父子(貞清と父の貞隆)に対し出仕を促した。

    これは内山城の籠城戦での貞清の手腕を評価したものであった。

    父子はこれに応じ、5月4日に甲府に向かい、6日に出仕を果たしている。

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  • 志賀城の戦いしがじょうのたたかい [武田晴信の美濃平定]

    1547年

    長野県佐久市志賀

    大井一族が壊滅状態になったことで佐久郡の大半が武田氏に制圧されたが、関東管領の上杉憲政の支援を受けて志賀城の笠原清繁は抵抗を続けていた。

    笠原氏は上杉氏家臣の高田氏と縁戚関係にあり、上杉氏からの援軍として高田憲頼父子が志賀城に派遣されていた。

    武田晴信(信玄)は大井三河守(貞清)を先手として、天文16年(1547年)閏7月24日に城の包囲を開始した。

    閏7月25日には金堀衆が城の水の手を断つことに成功。

    8月6日の小田井原の戦いで上杉憲政からの後詰を撃破した晴信は、上杉方の3000の首級を城下に晒して、援軍の来ないことを知らしめた。

    救援の望みが全く立たれた城兵の士気は大きく衰えたという。

    8月10日、笠原清繁は城から打って出たが武田軍の総攻めにより外曲輪・二の曲輪まで焼き落とされる。

    翌11日に武田軍は残る本曲輪を攻め、清繁が自刃し援将の高田憲頼父子ら300余人が討ち取られて落城した。

    これにより晴信の佐久郡平定がなった。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬