武将名鑑【信長の野望 新生】
立花宗茂(たちばなむねしげ)
立花宗茂(たちばなむねしげ)
立花宗茂 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
87 (42 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
98 (3 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
82 (114 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
62 (699 位) | ||||
合計 | 329 (49 位)2201人中 |
立花宗茂 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
別名 | 高橋彌七郎 統虎 戸次統虎 鎮虎 正成 親成 政高 尚政 俊正 経正 信正 | ||||
幼名 | 吉弘千熊丸 | ||||
仮名・通称 | 左近将監 羽柴柳河左近侍従 立左 立飛州 飛弾入道 宗茂入道 | ||||
渾名 | 西国無双 西国一の弓取 九州の逸物 九州の鶚鷹 鬼将軍 武神 飛将軍 常勝将軍 | ||||
法号・戒名 | 立斎 大円院殿前飛州太守松隐宗茂大居士 | ||||
父 | 高橋紹運 | ||||
養父 | 立花道雪 | ||||
母 | 宋雲院(斎藤鎮実の妹) | ||||
配偶者・正室 | 立花誾千代 | ||||
側室1 | 八千子(矢島秀行の娘) | ||||
側室2 | 菊子(葉室頼宣の娘) |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1567年 | 大友家臣。高橋紹運の子。立花道雪の娘を娶る。豊臣秀吉に「忠義と剛勇は鎮西一」と評された。関ヶ原合戦で西軍に属して改易されるが、のち旧領に復した。 | |||||||||
死亡年 | 1642年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
中道 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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乾坤 | 合戦で積極的に退き口を襲撃 | ||||||||||
攻勢 | 自部隊の攻撃上昇 | ||||||||||
反攻 | 城が強行されたときに攻城部隊へのダメージ増加 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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激励 | 自部隊の攻撃上昇 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 未登場 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 未登場 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 未登場 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 元服前 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 16 |
立花宗茂が登場する合戦
-
立花城の戦い [豊臣秀吉の九州平定]
1586年8月18日 ~ 24日
福岡県糟屋郡新宮町立花ロ
立花城から見た福岡市
-
高鳥居城の戦い [豊臣秀吉の九州平定]
1586年8月25日
福岡県糟屋郡須恵町
-
柳川城の戦い [九州の関ヶ原]
1600年9月 ~ 10月25日
福岡県柳川市本城町
黒田如水は加藤清正や鍋島直茂らとともに、筑後柳川城の立花宗茂を包囲する。
宗茂は、関ヶ原の戦いでは西軍に属して戦っており、島津氏とともに大坂を脱出して帰国したのち、居城の柳川城に籠城していた。
柳川城の堅牢ぶりや宗茂の猛勇を知る3将は宗茂を説得し、10月25日降伏開城を受諾させた。
その後宗茂は、一命を助けられたうえで改易されたが、のち再び大名に取り立てられ柳川藩10万石余の藩主となっている。 -
岡山口の戦い [大坂夏の陣]
1615年5月7日
大阪府大阪市生野区勝山北・南一帯
徳川秀忠 (36)前田利常 (22)本多康俊 (46)本多康紀 (36)片桐且元 (59)井伊直孝 (25)藤堂高虎 (59)細川忠興 (52)黒田長政 (47)加藤嘉明 (52)立花宗茂 (48)土井利勝 (42)本多正信 (77)三枝昌貞 (78)本多忠純 (29)WIN
大野治房 (43)LOSE
5月7日、ついに徳川家康は大坂城に総攻撃をかける。
このとき家康は子の秀忠を岡山口の総大将としました。
先鋒は大将を前田利常とし本多康俊、本多康紀、片桐且元ら計20,000。
二番手は井伊直孝、藤堂高虎勢の計7,500と細川忠興隊。その後方に徳川秀忠の本陣23,000を置いた。
一説には一番手と二番手の間に黒田長政、加藤嘉明が参陣していたといわれる。徳川秀忠は天王寺方面の銃声を聞き進撃を開始。
このとき立花宗茂は秀忠本陣が突出しては敵の突擊を誘うため後退すべきと建言したが聞き入れられなかった。戦闘が始まると先鋒の前田勢は大野治房勢に崩され、これを支援するために二番手の井伊直孝、藤堂高虎勢が動く。
この陣立ての乱れに乗じた大野勢が秀忠本陣に殺到し、旗本先手の土井利勝勢が崩れ一時大混乱となった。そのため秀忠自身が鑓を手に取り戦おうとするが、本多正信は「大局的に見れば味方は勝っており将軍自ら手を下す必要はない」と諫め止めたという。
黒田長政、加藤嘉明勢によって敵を防ぎつつ秀忠は本陣を後退させようとしたが、立花宗茂は敵は疲態でこれ以上の攻撃できず、また後退すると士気が下がると再び建言した。
旗奉行の三枝昌吉が旗を立て直すと散っていた将兵が集まりだし、次第に秀忠軍は攻勢をはね除け反撃に転じ始めた。この間、後詰の大野治長、七手組は秀頼の出馬を待っていたが、淀殿の説得に手間取り秀頼が出馬した頃には家康・秀忠本陣に突撃した豊臣方の軍勢はすでに撃退されていた。
体勢を立て直した幕府方の圧倒的兵力と火力の前に豊臣方の陣立ては15時頃には崩れ、毛利勝永指揮の殿のもとに城内へ総退却した。
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