武将名鑑【新信長の野望】
稲葉一鉄(いなばいってつ)
稲葉一鉄(いなばいってつ)
斉藤氏の家臣、美濃三人衆の一人。主君の家が滅ぶと、織田信長に仕えた。
稲葉一鉄 の能力値 | |||||
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統率
武将が出撃部隊の主将を務めた際、部隊兵数に影響。 |
452 (24 位) | ||||
武勇
武将が出撃部隊の先鋒を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
297 (61 位) | ||||
智略
武将が出撃部隊の参謀を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
310 (67 位) | ||||
内政
武将委任時の修復効果と所属部隊の採集効率に影響。 |
220 (61 位) | ||||
合計 | 1279 (61 位)84人中 | ||||
戦闘力 | 14395 |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
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レアリティ | 斉藤道三と土岐頼芸を美濃国から追い出す。そして龍興の代に他の三人衆と織田信長に仕え、多くの戦役に参加する。信長の死後は秀吉に仕えた。 | ||||||||||
タイプ | 統 | ||||||||||
適正 | 主将 | ||||||||||
兵科 | 大筒 | ||||||||||
逸話 | |||||||||||
性格は頑固、「一徹」は彼の名前に由来する。 |
稲葉一鉄が登場する合戦
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稲葉山城の戦い(いなばやまじょうのたたかい) [織田信長の美濃平定]
1567年8月1日 ~ 15日
岐阜県岐阜市大宮町
稲葉山城(岐阜城)
-
和田山城の戦い(わだやまじょうのたたかい) [織田信長の上洛戦]
1568年9月12日
滋賀県東近江市五個荘和田町
織田信長は、箕作城と同時に六角氏側の主力の一つである和田山城も稲葉良通(一鉄)が率いる第1隊に攻撃させていた。
しかし箕作城の落城を知った和田山城を守る田中治部大輔らは、戦わずに夜のうちに逃亡してしまった。
たった1日で箕作城と和田山城が共に落ちたことに落胆した六角承禎・義治父子は、9月12日に夜陰に乗じて居城の観音寺城を捨てて甲賀に逃れた。
翌13日、信長が観音寺城に入城すると六角方の18の支城も1つを除き開城し、六角氏の家臣は信長に降伏した。
この戦いの織田軍の損害は1500人ほどだと『フロイス日本史』に記載されている。
ちなみに抵抗を続けていた六角氏の城は蒲生賢秀が守る日野城であった。
結果的に賢秀の妹を妻としていた織田家の部将・神戸具盛の説得で、賢秀は信長に人質を差出して忠節を誓った。
この人質が蒲生氏郷である。
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大河内城の戦い(おかわちじょうのたたかい) [織田信長の伊勢平定]
1569年8月26日 ~ 10月3日
三重県松阪市大阿坂町
織田信長 (35)森可成 (46)坂井政尚
蜂屋頼隆 (35)佐久間信盛 (42)豊臣秀吉 (32)氏家卜全 (56)安藤守就 (46)織田信包 (26)滝川一益 (44)丹羽長秀 (34)稲葉一鉄 (54)池田恒興 (33)織田信雄 (11)WIN
1569年(永禄12年)8月20日、上洛戦を終えて美濃に戻っていた信長は、伊勢攻略のため総勢7万といわれる大軍で岐阜を出陣。
23日、事前に送り込んだ滝川一益が寝返らせすことに成功した木造城に着陣。北畠軍は天険の要害である大河内城やその支城に籠城しており、大河内城の本軍は約8,000だったと言われている。
織田軍の木下秀吉は史上の阿坂城を落城させたり、滝川一益は多芸城を焼き討ちにしたりと織田軍が優勢となるも、要害である大河内城はなかなか落とせなかった。
そこで兵糧攻めを行い、北畠家は降伏。
という北畠家に不利な条件で和睦した。
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太田口の戦い(おおたぐちのたたかい) [織田信長の長島一向一揆鎮圧]
1571年5月16日
岐阜県海津市南濃町太田
6月4日、信長は伊勢の長島(三重県桑名市)で起きていた一向一揆(伊勢長島一向一揆)を5万の兵を率いて鎮圧するために乗り出します。
織田軍は津島(愛知県津島市)に入り、本陣を構えました。そして、三方向から攻め寄せ、中筋口(桑名市の大鳥居城の辺り)から佐久間信盛、浅井新八、和田新介、中嶋豊後、山田三左衛門、長谷川丹波が進軍します。
多芸山(岐阜県養老町と大垣市上石津町にまたがる山)から大田口(岐阜県海津市南濃町)に向けては、柴田勝家、氏家卜全、稲葉一鉄、市橋長利、不破光治、伊賀平左衛門、塚本小大膳、丸毛長照、飯沼勘平が進軍しました。
8日、大田口の周辺に火を放っていた織田軍をめがけ、願証寺の一揆衆が弓と鉄砲で襲いかかります。
山中の細道で身動きがとれなくなった織田の部隊は乱れ、殿軍の柴田勝家が一揆衆と奮戦するも負傷し退却します。氏家卜全も必死に抵抗したが、一揆衆に囲まれて氏家の家臣もろとも全滅。大田口の合戦で織田軍は惨敗してしまったのである。
一揆衆は、小川村と志村(どちらも滋賀県東近江市)に引き返していきました。
信長の侵攻を防いだ4ヶ月後の元亀2年(1571年)6月6日、願証寺証意は35歳で急逝する。証意の急死を受けて跡を11歳の嫡男・願証寺顕忍が引き継ぐ事となった。
稲葉一鉄が登場する記事一覧
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