武将名鑑【新信長の野望】
高橋紹運(たかはしじょううん)
高橋紹運(たかはしじょううん)
高橋紹運、大友氏の家臣、筑前国岩屋城城主。
高橋紹運 の能力値 | |||||
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統率
武将が出撃部隊の主将を務めた際、部隊兵数に影響。 |
450 (25 位) | ||||
武勇
武将が出撃部隊の先鋒を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
648 (5 位) | ||||
智略
武将が出撃部隊の参謀を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
404 (36 位) | ||||
内政
武将委任時の修復効果と所属部隊の採集効率に影響。 |
243 (51 位) | ||||
合計 | 1745 (21 位)84人中 | ||||
戦闘力 | 31687 |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
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レアリティ | 立花道雪とともに「大友家の双璧」を成した。自分の城において、たった七百の兵力で島津氏の五万の大群を迎え撃ち、全員玉砕した。 | ||||||||||
タイプ | 武 | ||||||||||
適正 | 先鋒 | ||||||||||
兵科 | 忍者 | ||||||||||
逸話 | |||||||||||
岩屋城での奮闘が島津氏の進軍を遅め、豊臣氏の九州征伐軍のための時間稼ぎをした。「紹運こそこの乱世に咲いた華」と秀吉に称えられた。 | |||||||||||
コメント | |||||||||||
自忍者部隊の防御力をUP。 偶数ターン、自軍部隊をバフ、攻撃力の高い敵部隊に防御力上昇効果のバフ禁止、確率で攻撃力上昇効果のバフ禁止を付与する奥義は特定の敵に有用。 |
高橋紹運が登場する合戦
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猫尾城の戦い(ねこおじょうのたたかい) [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]
1584年7月20日 ~ 9月5日
福岡県八女郡黒木町北木屋
沖田畷の戦いで龍造寺隆信が敗死すると、勢力回復を図る大友宗麟は兵を筑後へ送り、龍造寺氏の黒木家永(実久)が守る猫尾城を攻めた。
天正10年(1582年)の猫尾城の戦いですでに龍造寺氏に敗れていた黒木家永は、嫡男の四郎丸を人質として龍造寺氏に差し出していたため、大友氏に降伏することができなかった。
7月20日、猫尾城は水源を止められ兵糧にも事欠く状態となったが、龍造寺氏の土肥家実や馬場信貞の奮戦もあって戦況は膠着した。
しかし大友宗麟の命により立花道雪・高橋紹運らが8月19日に攻城に加わり、9月5日総攻撃をかけると、猫尾城は落城し黒木家永は自刃した。 -
高牟礼城の戦い(たかむれじょうのたたかい) [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]
1584年8月24日
福岡県八女郡黒木町笠原
猫尾城を包囲した大友勢は、同時に猫尾城の支城である筑後高牟礼城も包囲した。
城を守る黒木家永の家臣である椿原式部は、筑前から猫尾城の攻城軍に合流した戸次(立花)道雪・高橋紹運らの勧告を受け、8月24日に大友方に寝返って降伏開城した。
この日、龍造寺政家から赴援を命じられた田尻鑑種が高牟礼城に向かうも間に合わず、高牟礼城に入っていた龍造寺方の援将の土肥出雲守は逃亡する。
大友宗麟は、高牟礼城を椿原式部に預けた。
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山下城の戦い(やましたじょうのたたかい) [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]
1584年9月11日
福岡県八女郡立花町北山山下
猫尾城・高牟礼城を落とした大友宗麟配下の戸次(立花)道雪・高橋紹運は、蒲池鎮連が守る筑後山下城に向かう。
蒲池氏は鎮連の父の鑑広の代から大友氏に通じており、天正7年(1579年)の山下城の戦いで、龍造寺隆信に攻められて龍造寺氏に降伏していた。
そのため龍造寺氏から人質を奪還した鎮連は、道雪に和睦を求めて開城したのである。
蒲池氏の降伏により、こののち筑後の国衆がことごとく宗麟に降った。
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柳川城の戦い(やながわじょうのたたかい) [龍造寺隆信の肥前・筑後平定]
1584年9月15日 ~ 18日
福岡県柳川市城町
山下城の蒲池鎮連を攻略した戸次道雪・高橋紹運率いる大友勢は、天正12年(1584年)9月15日、坂東寺に本陣をおくと柳川城を包囲する。
柳川城は天正8年(1580年)の柳川城の戦いで降伏した蒲池鎮竝がそののち龍造寺隆信によって謀殺されたあと、鍋島信昌(直茂)が入った。
鍋島信昌が龍造寺政家を補佐する為に佐賀城に移ったため、柳川城へは龍造寺家晴が南関から入っていた。大友勢は数千の城兵が籠城する堅牢な柳川城を攻撃したが、9月18日に攻略を諦めて筑後高良山に退陣した。
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岩屋城の戦い(いわやじょうのたたかい) [豊臣秀吉の九州平定]
1586年7月14日 ~ 27日
福岡県太宰府市太宰府
岩屋城
高橋紹運が登場する記事一覧
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