武将名鑑【覇道】
佐竹義宣(さたけよしのぶ)
佐竹義宣(さたけよしのぶ)
佐竹義宣 の能力値 | |||||
---|---|---|---|---|---|
統率
部隊の攻撃や防御を定め、通常攻撃のダメージに影響 |
526 (48 位) | ||||
武勇
部隊の武勇を定め、武勇戦法ダメージ、状態変化率に影響 |
467 (66 位) | ||||
知略
部隊の知略を定め、知略戦法のダメージ、状態変化率に影響 |
435 (62 位) | ||||
政治
部隊の破壊を定め、要所や城門などへのダメージに影響 |
526 (34 位) | ||||
合計 | 1954 (46 位)105人中 | ||||
戦闘力 | 3358 | ||||
天賦 | 650 | ||||
a | |||||
b | |||||
b |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
レアリティ | 佐竹家19代当主。義重の嫡男。父に劣らぬ猛将ぶりで知られた。関ヶ原合戦では西軍に属す決意を固くし、徳川家康から「今の世に稀な律儀者」と評された。 | ||||||||||
声優(CV) | 矢部裕久 | ||||||||||
戦法 | |||||||||||
常陸侍従 | 対象を含む敵2部隊に武勇150%の攻撃 対象とする敵1部隊に消沈を付与 |
||||||||||
常陸を掌握していた佐竹義宣は、「常陸侍従」と呼ばれていた。 |
技能
不屈
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 自大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-5% |
Ⅱ | 自大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-7% |
Ⅲ | 自大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-9% |
Ⅳ | 自大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-12% |
Ⅴ | 自大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-15% |
治金
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 製鉄所に任命した場合、任命効果+8% |
Ⅱ | 製鉄所に任命した場合、任命効果+16% |
Ⅲ | 製鉄所に任命した場合、任命効果+24% |
秘伝
名家の誉
条件 : 全体マップに出陣する
系統 : 部隊
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 敵部隊撃破時、30%の確率で、獲得できる勲功+1 (上限5) |
Ⅱ | 敵部隊撃破時、50%の確率で、獲得できる勲功+1 (上限5) |
Ⅲ | 敵部隊撃破時、100%の確率で、獲得できる勲功+1 (上限5) |
佐竹義宣が登場する合戦
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今福・鴫野の戦い(いまふく・しぎののたたかい) [大坂冬の陣]
1614年11月26日
大阪府大阪市城東区今福・鴨野
大坂城北東2kmほどの位置に、大和川(寝屋川)の北岸に今福村、南岸に鴫野村がある。
この地域は低湿地帯になっており、軍隊が展開できるのは堤防上のみ、まわりは田圃という地形だった。
豊臣方は今福村に3カ所の堀切と4重の柵を設置し、矢野正倫および飯田家貞にそれぞれ兵300で守備させていた。
鴫野砦では井上五郎右衛門・小早川左兵衛・竹田兵庫ら2,000の兵が守りを固めていた。徳川家康は今福村に付け城を築くため、今福・鴫野の両砦の奪取を命じます。
今福砦へは佐竹義宣が兵1,500で、鴫野砦には上杉景勝・堀尾忠晴・丹羽長重が攻めいります。
11月26日夜明け、戦いは佐竹隊による今福砦への急襲から始まった。佐竹麾下の渋江政光、戸村義国らにより第4柵まで占拠され、矢野と飯田は討死した。
豊臣軍は木村重成が来援し、反撃に転じたため佐竹勢はやや後退したがその後膠着状態になった。
その様子を大坂城天守から見ていた豊臣秀頼は、後藤又兵衛に救援を命じた。大坂城から後藤又兵衛隊兵3,000が駆けつけ木村重成を支援しながら突撃を指揮し、佐竹勢を押し戻した。
渋江政光は第1柵で防戦していたが、木村重成の指示で狙撃され討死したため佐竹勢先鋒隊が潰走、佐竹義宣は大和川対岸にいた上杉勢に救援を求めた。鴫野砦では、砦の守備兵もよく守り、とくに秀頼の武術師範をも務めたともいう穴沢盛秀は大長刀を水車のように振り回して多くの敵をなぎ倒した。
そこへ城中から繰り出した青木一重や渡辺内蔵助らの率いる新手の兵が駆けつけてきたため、上杉隊も苦戦を強いられることとなった。上杉勢の安田能元、須田長義らにより柵は占拠され、井上頼次は討ち死した。
上杉勢一番手は第一の柵まで後退し、二番手の水原親憲らに崩れかかりそうになるところ親憲が大声で左右にどくよう指示し、そのあとを追いかけてきた豊臣軍に鉄砲隊の一斉射撃を加えた。
上杉景勝、堀尾忠晴および榊原康勝の軍勢が大和川の中州まで出て銃撃を加え、そこへ安田能元隊が槍を入れたため、徳川軍は苦戦しながらも両砦を陥落させ豊臣軍は撤退した。
この戦いは大坂冬の陣最大の激戦とも言われ、双方ともに多数の死傷者を出した。大坂方の後藤又兵衛は退却の際に被弾して血まみれの姿になって帰城したといい、徳川勢ではとくに佐竹隊の損耗が激しく、翌日には佐竹隊に代えて本多忠朝以下、浅野長重や真田信吉・信政兄弟、仙石忠政・秋田実季らに今福砦の守備が命じられたという。
佐竹義宣が登場する記事一覧
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