今日は何の日?

  • ● 1578年 羽柴(豊臣)秀吉が播磨三木城の別所長治攻めを開始する
  • ● 1582年 織田信長が徳川家康に駿河を与える
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この人誰?

真田昌幸

武将名鑑【信長の野望 新生】

武将名鑑アイコン

松平忠明(まつだいらただあきら)

松平忠明 の能力値
統率

出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。

61 (767 位)
武勇

出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、
城の攻撃力に影響する。

46 (1520 位)
知略

出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、
また戦法のダメージに影響する。

68 (518 位)
政務

城の収入に影響する。

77 (202 位)
合計 252 (497 位)2201人中
松平忠明のグラフィック画像
松平忠明 の基礎データ
性別
別名 清匡 奥平忠明
幼名 鶴松丸
法号・戒名 玄鉄 天祥院心巌玄鉄大居士
奥平信昌
養父 徳川家康
亀姫
配偶者・正室 織田信包の娘
側室1 小出吉政の娘
松平忠明の自画像
その他のデータ 列伝
誕生年 1583年 奥平信昌の四男。徳川家康の養子となり松平姓を名乗る。大坂の陣で美濃衆を率い、戦後、道頓堀開削など大坂の復興に努めた。のち幕閣の元老的存在となる。
死亡年 1644年
主義

革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。
また、政策の発令条件になっている。

革新
特性

武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。

防災 同一城に属する全ての郡で災害回避上昇
戦法

合戦で使える特殊な技。
部隊を強化したり、ダメージを与えたり、
様々な効果を得られる。

罵声 敵部隊の防御低下
シナリオ
年月 シナリオ 年齢
1546年1月 信長元服 未登場
1553年4月 尾張統一 未登場
1560年4月 桶狭間の戦い 未登場
1570年4月 信長包囲網 未登場
1582年5月 夢幻の如く 未登場

松平忠明が登場する合戦

  • 道明寺の戦いどうみょうじのたたかい [大坂夏の陣]

    1615年5月6日

    大阪府藤井寺市道明寺一帯

    二条城に入った徳川家康は、全軍を二手に分けると一手を河内から摂津に向かわせ、もう一手を大和から河内を経て摂津に向かわせました。
    大坂城南東に位置する道明寺あたりで合流させようとしたのである。

    大和ルートの水野勝成伊達政宗松平忠輝らは奈良で陣容を整えると、5月5日に3万余の大軍で道明寺に向かいます。

    大阪城の堀を埋められ野戦でしか勝機がない豊臣方は、狭隘な道明寺付近で徳川方を迎え撃つことを決め、後藤又兵衛薄田兼相真田信繁(幸村)・毛利勝永らは進軍します。

    5月6日午前0時、後藤又兵衛指揮の兵2,800は平野を出発し、藤井寺を経て夜明け前に道明寺に到着しました。
    そして幕府軍が既に国分に展開していることを知る。
    しかし真田信繁毛利勝永らの軍勢が濃霧に阻まれて遅延したため、後藤又兵衛は単独で徳川方の大軍と当たることを余儀なくされる。

    作戦が既に破綻していること認めた後藤は、石川を渡り小松山(現在の柏原市立玉手山公園一帯)に登り陣を構えます。
    徳川軍は小松山に敵が布陣していることを知り、それを包囲することにした。

    午前4時、後藤松倉重政・奥田忠次勢に対し攻撃を仕掛けました。
    奥田は戦死し、松倉勢も崩れかかったが、水野勝成堀直寄が来援してかろうじて助かった。

    小松山を包囲した幕府軍の伊達政宗松平忠明らは銃撃を加え、小松山にとりつこうとします。
    後藤勢は、次々に新手を繰り出す幕府軍を数度にわたり撃退したがそれにも限界があった。

    後藤は負傷者らを後方に下げ、小松山を下り隊に二手に分け幕府軍に最後の突撃を敢行した。

    いくつか敵数隊を撃退するも丹羽氏信勢に側面を衝かれ立ち往生し、さらに伊達政宗の軍勢に銃撃され後藤が被弾。

    正午頃、約8時間の戦闘の末、後藤は戦死し後藤隊も壊滅してしまう。

    このころになって前隊の残り、薄田兼相明石全登、山川賢信らが道明寺に到着し後藤を援護します。

    薄田兼相は大坂冬の陣における博労淵砦の戦いで、留守にしている隙に砦を奪われる失態をおかしていたので、その汚名を雪ぐべく奮戦して討死した。
    敗北した豊臣方は、西の誉田まで兵を退いていく。

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬