武将名鑑【信長の野望 新生】
正木時忠(まさきときただ)
正木時忠(まさきときただ)
正木時忠 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
58 (913 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
68 (452 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
68 (518 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
51 (1253 位) | ||||
合計 | 245 (579 位)2201人中 |
正木時忠 の基礎データ | |||||
---|---|---|---|---|---|
性別 | 男 | ||||
仮名・通称 | 十郎 左近大夫 | ||||
法号・戒名 | 威武殿正文目出居士 | ||||
父 | 正木通綱 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1518年 | 里見家臣。勝浦城主。兄・時茂とともに多くの合戦で戦功を立てる。第二次国府台合戦ののち、正木家の存続を優先して北条家に寝返ったが、のちに帰参した。 | |||||||||
死亡年 | 1576年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
保守 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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早駆 | 自部隊の機動上昇 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 29 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 36 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 43 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 53 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 死亡 |
正木時忠が登場する合戦
-
犬懸の戦い [古河公方と小弓公方]
1534年4月6日
千葉県南房総市犬掛
天文2年(1533年)7月、里見氏第4代当主の里見義豊は、叔父の里見実堯と側近の正木通綱が上総進出を狙う小田原城の北条氏綱と接近したため安房稲村城で謀殺した。
これにより謀殺された実堯の子の義堯(義豊の従兄弟)や正木通綱の息子の正木時茂・時忠らは上総真里谷城の武田信隆を頼って落ちのびていた。
信隆の属城である上総造海城に拠った義堯は、相模の北条氏綱の支援を得て義豊に抵抗を続ける。
天文3年(1534年)4月6日、信隆と対立するその父の武田信保と結んだ義豊と、信隆・氏綱の加勢を得た義堯とが安房の犬懸で衝突した。
この戦いで義豊が討たれ、義堯が里見氏の家督を継いだ。
-
池和田城の戦い [古河公方と上杉氏・北条氏]
1564年7月20日
千葉県市原市池和田
永禄7年(1564年)の国府台の戦い後、相模の北条氏政は上総の里見義弘への攻勢を強めていく。
そうしたなかで氏政は10000騎を率いて、義弘配下の多賀高明の居城である上総池和田城を攻撃した。
もともと庁南武田氏の家臣であった多賀氏は、主家とともに里見氏に属するようになったもので、一族は国府台の戦いでが里見方として参陣している。
寄せ手の氏政らは西・北・南には深田があり東は高い山で囲まれた池和田城を攻めあぐね、周囲の民家を打ち壊し、その廃材や矢を堀切の埋め草として撃ち込ませたが、多賀高明の子の多賀蔵人・兵衛兄弟や正木大膳亮らの防戦に多くの死傷者を出しなかなか陥とせなかった。
しかし城内に内応者が出て、深夜に城は放火された。
城内は混乱し、北条軍は次々と城内に入り込み、7月20日に池和田城は陥落した。
多賀高明らは安房に落ちのびていった。
正木時忠が登場する記事一覧
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