武将名鑑【信長の野望 新生】
本庄実乃(ほんじょうさねより)
本庄実乃(ほんじょうさねより)
本庄実乃 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
40 (1782 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
46 (1520 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
70 (442 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
71 (367 位) | ||||
合計 | 227 (899 位)2201人中 |
本庄実乃 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
別名 | 慶秀 | ||||
仮名・通称 | 新左衛門尉 美作守 | ||||
法号・戒名 | 宗緩 | ||||
父 | 本庄慶長 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1511年 | 上杉家臣。栃尾城主。主君・景虎の栃尾城入城以来、側近となる。景虎の初陣の際は補佐役として活躍した。のち景虎が当主になると、政権の中枢に参画した。 | |||||||||
死亡年 | 1580年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
保守 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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差配 | 合戦で積極的に味方部隊を支援 | ||||||||||
能史 | 街道に関する具申が可能 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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治癒 | 自部隊の兵力回復 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 36 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 43 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 50 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 60 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 死亡 |
本庄実乃が登場する合戦
-
駒返の戦い [武田晴信の美濃平定]
1556年8月23日
新潟県糸魚市青海
上杉謙信像
弘治2年(1556年)8月、越後箕冠城主の大熊朝秀は武田晴信(信玄)の再三の誘いに応じて、長尾景虎(上杉謙信)から離反した。
もともと守護上杉氏の家臣であった大熊氏は、主家の滅亡により守護代の長尾氏に仕えており、この時期、家中内の守護上杉家派と守護代長尾家派の派閥対立が激化していた。
守護代長尾家派の本庄実乃は、幼少期の景虎の器量を見抜いて、早くから栃尾城に迎えてその側近となっていた。
景虎は、本庄実乃ら側近の進言を聞き入れ、大熊朝秀ら旧臣を要職から排除し、朝秀の進言を聞き入れなくなっていたため朝秀は離反したのである。
大熊朝秀は居城の箕冠城を捨て、越中へ退き一揆を扇動し武田軍の援軍を待った。
大熊朝秀は陸奥黒川城主である蘆名盛氏の支援を得るも、還俗して春日山城に戻った上杉謙信は、素早く軍を編成し、8月23日に庄田賢秀・上野家成らと共に越後駒返にて進撃して来た朝秀軍を打ち破った。
敗れた大熊朝秀はこののち武田氏に身を寄せ、天正10年(1582年)、田野の戦いで武田勝頼に殉じている。
今回紹介するのは、陸奥国の戦国大名である津軽為信(つがるためのぶ)です。
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