武将名鑑【信長の野望 新生】
徳永寿昌(とくながながまさ)
徳永寿昌(とくながながまさ)
徳永寿昌 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
31 (2066 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
46 (1520 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
61 (846 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
68 (445 位) | ||||
合計 | 206 (1375 位)2201人中 |
徳永寿昌 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
別名 | 昌時 | ||||
仮名・通称 | 権之進 下総守 石見守 式部卿法印 | ||||
法号・戒名 | 広徳院殿桂厳寿昌大居士 | ||||
父 | 徳永昌利 | ||||
配偶者・正室 | 三上氏 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1549年 | 柴田家臣。賤ヶ岳合戦の際、主君・勝豊とともに豊臣秀吉の傘下に入る。秀吉の死後、朝鮮に渡って全軍に撤退命令を伝えた。関ヶ原合戦では東軍に属した。 | |||||||||
死亡年 | 1612年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
中道 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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防災 | 同一城に属する全ての郡で災害回避上昇 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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混乱 | 敵部隊に混乱付与 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 未登場 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 元服前 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 元服前 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 22 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 34 |
徳永寿昌が登場する合戦
-
福束城の戦い [関ヶ原の戦い]
1600年8月16日 ~ 17日
岐阜県安八郡輪之内町福束
福島正則公像
東軍の尾張清須城主である福島正則の誘いを退けて福束城の丸茂兼利は西軍に加わった。
福島正則は今尾城主の市橋長勝や高須城主の徳永寿昌らに福束城攻めを命じます。
慶長5年(1600年)8月16日、石田三成は大垣城主の伊東盛正・長松城主の武光棟忠ら3000余を援軍として福束城に送ったが、東軍に敗れてしまう。
城主兼利は、城を捨てて大垣城に落ちていった。
-
高須城の戦い [関ヶ原の戦い]
1600年8月19日
岐阜県海津市海津町高須
福束城を落とした東軍の尾張清須城主の福島正則は、松ノ木城の徳永寿昌や市橋長勝らに高木盛兼の高須城を攻めさせた。
高木氏では、高須城の高木盛兼をはじめ駒野城主の高木帯刀や津屋城主の高木正家ら一族をあげて西軍についていたからである。隣地の西軍に属した丸毛兼利の福束城が落城し、高木盛兼は戦力差を感じていたが、不戦敗では面目が立たないため空砲を撃って、空戦を演出した上で城を出て降伏したいと願い、東軍との話合いはまとまった。
慶長5年(1600年)8月19日、東軍1000余は空砲ではなく実弾を撃ってきたので、欺かれたと思い交戦するも城を支えきれず、寿昌の降伏をすすめる使者を受け入れると城を明け渡し、舟で縁者の高木正家が守る津屋城に落ちていった。
関ヶ原の戦い後、徳永寿昌に高須城5万石が与えられている。
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