筒井氏の大和平定
筒井氏の大和平定
1497年10月
越智家増と筒井順昭
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壷坂の戦い(つぼさかのたたかい)
1497年10月19日 ~ 11月23日
奈良県高市郡高取町壷坂
十市遠治
畠山尚順
WIN
越智家栄
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白毫寺の戦い(びゃくごうじのたたかい)
1497年11月14日
奈良県奈良市白毫寺町
順盛
WIN
古市澄胤
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井戸城の戦い(いどじょうのたたかい)
1504年9月21日
奈良県天理市石上町
古市澄胤
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筒井順賢
WIN
古市城の戦い(ふるいちじょうのたたかい)
1504年9月21日
奈良県奈良市古市町
筒井順賢
WIN
古市澄胤
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大和地方の半分を支配する大和守護格となり、古市播磨法師の名で活躍した古市澄胤は井戸城を攻めるも、これを破った筒井順賢は逆に澄胤を追撃すると、6万石を有する大和古市城を攻撃した。
筒井勢の猛攻により古市城は落城し、その後破却されている。
筒井順賢は勢いに乗じて古市氏の属城である山村城・鹿野園城・窪城なども攻め落とし焼き払った。
その後澄胤は、幕府の実権を握る細川政元に通じて再興を図るも、政元と畠山尚順との戦いで討死し、古市氏は没落する。
柳生城の戦い(やぎゅうじょうのたたかい)
1544年7月27日 ~ 29日
奈良県奈良市柳生町
貝吹山城の戦い(かいぶきやまじょうのたたかい)
1546年9月25日 ~ 10月10日
奈良県高市郡高取町寺崎
天文15年(1546年)9月25日、大和の筒井順昭は同じく大和の越智氏と長年の決着をつけるため攻撃する。
越智家増は居城の越智館を捨て、詰城である貝吹山城の戦いに籠城するも筒井氏は5,000の兵で包囲する。
この合戦に登場する武将
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筒井順昭 (つついじゅんしょう)
大和の国衆。順興の嫡男。はじめ木沢長政と結んで畠山稙長と戦うが、長政の敗死後は稙長と結んだ。越智家を破るなど筒井家の勢力を拡大するが、夭逝した。
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柳生家厳 (やぎゅういえよし)
大和の豪族。剣豪・宗厳の父。筒井順昭に攻められて、筒井家に属した。三好家の松永久秀が大和国に進出すると、三好方に寝返って筒井家と戦った。
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柳生石舟斎 (やぎゅうせきしゅうさい)
大和の豪族。上泉信綱に師事して奥義を会得、柳生新陰流を開く。のちに徳川家康に招かれて柳生新陰流を伝授した。以後、柳生家は徳川家兵法師範となった
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越智家増 (おちいえます)
大和の国人。家増は大和の国衆で、家栄の三男。家広の弟という。はじめ楢原姓を名乗った。市尾深介に命じて甥・家高を謀殺し、越智家の惣領となった。