文禄の役
文禄の役
1592年4月
総大将の宇喜多秀家と文禄の役『釜山鎮殉節図』
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釜山城の戦い(プランじょうのたたかい)
1592年4月13日
釜山広域市
東莱城の戦い(トンネじょうのたたかい)
1592年4月14日
釜山広域市東莱区
WIN
宗象賢
LOSE
金海城の戦い(キムヘじょうのたたかい)
1592年4月18日
慶尚南道金海市
慶州城の戦い(キョンジュじょうのたたかい)
1592年4月20日
慶尚北道慶州市
尚州城の戦い(サンジュじょうのたたかい)
1592年4月24日
慶尚北道尚州市
忠州の戦い(チュンジュのたたかい)
1592年4月27日
忠清北道忠州市
漢城の戦い(ハンソンのたたかい)
1592年5月2日
ソウル特別市
臨津江の戦い(イムジンガンのたたかい)
1592年5月18日
京畿道坡州市
平壌城の戦い(ピョンヤンじょうのたたかい)
1592年6月12日 ~ 15日
平壌市
平壌城の戦い(ピョンヤンじょうのたたかい)
1593年1月5日 ~ 8日
平壌市
碧蹄館の戦い(ピョクチェグァンのたたかい)
1593年1月26日
京畿道高陽市
この合戦に登場する武将
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小西行景 (こにしゆきかげ)
豊臣家臣。行長の甥。キリスト教に帰依した。関ヶ原合戦では行長の居城・肥後宇土城を守備して加藤清正軍と戦うが、西軍の敗戦を聞いて開城し、自害した。
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黒田長政 (くろだながまさ)
豊臣家臣。官兵衛孝高の嫡男。九州征伐などで活躍した。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後筑前福岡52万石を領す。以後は徳川幕府への恭順の姿勢を貫いた。
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大友義統 (おおともよしむね)
大友家22代当主。義鎮の子。島津・龍造寺両家に圧迫され、豊臣秀吉を頼り豊後1国を安堵された。しかし朝鮮派兵の際に敵前逃亡を犯したため改易された。
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加藤清正 (かとうきよまさ)
豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。朝鮮派兵で活躍し「虎加藤」の逸話を残す。秀吉死後は石田三成と対立、関ヶ原合戦で東軍に属し、肥後熊本52万石を得た。
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鍋島直茂 (なべしまなおしげ)
龍造寺家臣。清房の子。主家の発展に貢献した知勇兼備の将。主君・政家を後見して国政を執った。関ヶ原合戦で東軍に属し、戦後、肥前の支配権を獲得した。
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宇喜多秀家 (うきたひでいえ)
豊臣家臣。直家の嫡男。主君・秀吉に寵愛され、五大老の1人となるが、内乱により重臣の大半を失う。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後八丈島へ配流された。
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小早川隆景 (こばやかわたかかげ)
毛利元就の三男。安芸の豪族・小早川家を継ぎ、山陽地方の攻略にあたる。本能寺の変後は毛利家の存続をはかって豊臣秀吉に接近し、五大老の1人となった。