今日は何の日?

  • ● 1546年 北条氏康が上杉憲政、上杉朝定らを破る
  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
  • ● 1556年 斉藤道三が対立していた息子・義龍に敗れ討死
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この人誰?

波多野宗高

織田信長の上洛戦

1568年9月

織田信長と三好長逸

目次[非表示]

箕作城の戦い(みつくりじょうのたたかい)

1568年9月12日

滋賀県東近江市五個荘山本町

建部秀明

吉田重光

狛修理亮

吉田新助

LOSE

佐和山城から見た琵琶湖

永禄11年(1568年)8月7日、織田信長は近江小谷城の支城である佐和山城に赴き、ここで上洛途上に位置する観音寺城の六角承禎義治父子に対し、入洛を助け道をあけるよう、足利義昭の近臣であった和田惟政ら家臣3名の使者を送って申し出た。

しかし、六角父子はこれを拒絶する。

信長は再度使者を送って入洛を助けるよう要請するも、病気を理由に使者に会わず追い返されてしまった。

7日間佐和山城にいた信長は、開戦もやむを得ないと考え岐阜城に戻った。

9月7日、六角氏征伐のため尾張・美濃・伊勢の大軍を率いて岐阜を出陣した。

8日には佐和山城近くの高宮に本陣をおき、義弟にあたる浅井長政隊と合流する。

さらに、松平信一率いる徳川家康からの援軍も加わり、織田・浅井・徳川連合軍の軍勢は5万 ~ 6万に膨れ上がった。

対して六角勢は、居城の観音寺城に馬廻り衆1000騎を、支城の箕作城に建部秀明・吉田重光・狛修理亮・吉田新助ら3000の兵を、和田山城には田中治部大輔ら主力6000を、その他支城18城に被官衆を置いて、各城が連繫しながら織田・浅井・徳川勢を挟撃する作戦にでる。

9月12日早朝、連合軍は愛知川を渡河すると3隊に分かれ、稲葉良通が率いる第1隊が和田山城へ、柴田勝家森可成が率いる第2隊は観音寺城へ、信長滝川一益丹羽長秀木下秀吉佐久間信盛らの第3隊が箕作城に向かっていた。

織田軍はまず和田山城を攻撃すると予測していたため、六角氏は和田山城に主力を置いていたが、戦端は箕作城でひらかれた。

まず木下隊2300が北の口から、丹羽隊3000が東の口から攻撃を開始した。

しかし箕作城は急坂や大木が覆う堅城で合ったため、午後五時には逆に追い崩されてしまう。

その夜、木下秀吉は夜襲を決行する。

3尺の松明を数百本用意させ、中腹まで50箇所に配置し一斉に火をつけ、これを合図に攻撃した。

7時間以上戦ったその日のうちに夜襲を仕掛けてくるとは考えてもいなかったのか箕作城兵は驚き、防戦したが支えきれず、夜明け前に落城してしまった。

200以上の首級が上がった。

和田山城の戦い(わだやまじょうのたたかい)

1568年9月12日

滋賀県東近江市五個荘和田町

田中治部大輔

LOSE

織田信長は、箕作城と同時に六角氏側の主力の一つである和田山城も稲葉良通(一鉄)が率いる第1隊に攻撃させていた。

しかし箕作城の落城を知った和田山城を守る田中治部大輔らは、戦わずに夜のうちに逃亡してしまった。

たった1日で箕作城と和田山城が共に落ちたことに落胆した六角承禎義治父子は、9月12日に夜陰に乗じて居城の観音寺城を捨てて甲賀に逃れた。

翌13日、信長が観音寺城に入城すると六角方の18の支城も1つを除き開城し、六角氏の家臣は信長に降伏した。

この戦いの織田軍の損害は1500人ほどだと『フロイス日本史』に記載されている。

ちなみに抵抗を続けていた六角氏の城は蒲生賢秀が守る日野城であった。

結果的に賢秀の妹を妻としていた織田家の部将・神戸具盛の説得で、賢秀信長に人質を差出して忠節を誓った。

この人質が蒲生氏郷である。

勝龍寺城の戦い(しょうりゅうじじょうのたたかい)

1568年9月26日 ~ 29日

京都府長岡京市神足

芥川城の戦い(あくたがわじょうのたたかい)

1568年9月29日

大阪府高槻市原

池田城の戦い(いけだじょうのたたかい)

1568年9月30日 ~ 10月2日

大阪府池田市城山町

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬