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島津看経所四名臣の一人・川上久朗(かわかみひさあき)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、島津氏の家臣である川上久朗(かわかみひさあき)です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
川上久朗の一生
天文6年(1537年)、川上忠克の二男として誕生します。
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川上久朗は島津氏の庶流川上氏の一族であることに加え、若い頃から智勇兼備の誉れが高く、その才能は島津忠良や島津義久にも高く評価され、天文22年(1553年)に17歳にして当主の義久から島津氏の家老職、並びに谷山の地頭にまで任命されるという異例の抜擢を受けています。
更に、義久の命で老中となり没年までその地位にあったようです。
先陣での功績も多く、弘治元年(1555年)の蒲生氏攻略、永禄4年(1561年)の肝付兼続との廻城合戦等、各地で奮戦しています。
永禄11年(1568年)1月20日、相良・菱刈連合との戦いで、赤池長任と菱刈勢の籠る大口城攻めの際に、島津義弘を守るために孤軍奮闘して13ヶ所もの深手を負い、鹿児島に帰還したが翌月3日に死去しました。
享年32歳。
川上久朗は若くから才幹を見込まれ、島津看経所四名臣の一人に数えられています。
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信長の野望での川上久朗
ゲーム信長の野望での川上久朗のパラメーターを見てみましょう。
統率 70 (361 位)
武勇 71 (333 位)
知略 67 (552 位)
内政 62 (684 位)
外政 66 (507 位)
合計 336 (325 位)
2200人中の順位です。
川上一族で一番能力が高く設定されています。
まとめ
いかがでした?
島津看経所四名臣の一人に数えられているだけあってゲーム内での評価が高かったですね。
17歳で家老職に抜擢されているので、若くして亡くなったのが惜しいです。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。
参考
川上久朗