今日は何の日?

  • ● 1545年 武田晴信(信玄)が高遠城を接収する
  • ● 1556年 織田信長が斉藤道三救援に美濃へ出兵、大浦に陣を張る
  • ● 1545年 武田晴信(信玄)が高遠城を接収する
  • ● 1556年 織田信長が斉藤道三救援に美濃へ出兵、大浦に陣を張る

歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」の攻略サイト

この人誰?

真田昌輝

views : 2617

直江兼続と二頭体制を築いた狩野秀治(かのうひではる)とは?【マイナー武将列伝】

直江兼続と二頭体制を築いた狩野秀治(かのうひではる)とは?【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回紹介するのは、上杉家臣・狩野秀治(かのうひではる)です。通称は新介。号は彦伯。
一体何をしたのでしょうね?

さっそく行ってみよう。

狩野秀治は上杉家臣。父・秀基は神保家の臣。御館の乱では景勝方として活躍。上杉の内政や外交の取り次ぎ役として、直江兼続と二頭体制を築く。のちに讃岐守を受領。

目次[非表示]

狩野秀治の出自

越中国神保氏の旧臣・狩野秀基の子という。
生年はわかっていませんが、ゲーム信長の野望では1553年と設定されています。

はじめは出雲(島根県)の尼子勝久に仕えていたともいわれています。

T-fileの管理人Takataka

父は越中の人なので、出雲まで修行でもしていたのでしょうか?

上杉家での活躍

天正初年(1573年)頃から越後上杉氏に仕え、御館の乱で上杉景勝方に与して頭角を現します。

天正9年(1581年)に、景勝の側近である直江信綱と山崎秀仙が、毛利秀広に殺害される事件が起きたことから、兼続景勝の命により、直江景綱の娘で信綱の妻であったの婿養子(船にとっては再婚)となり、跡取りのない直江家を継いで越後与板城主となりました。
以後、景勝の内政外交全般の取次ぎ役を担当するなど重用され、直江兼続狩野秀治の2人の執政体制に入りました。

天正10年(1582年)12月晦日、讃岐守の官位を与えられました。

しかし病気がちであり、天正12年(1584年)末から狩野秀治が病に倒れると、兼続は内政・外交の取り次ぎのほとんどを担うようになります。
秀治の死後は単独執政を行い、これは兼続が死去まで続くことになりました。

景勝・兼続との仲

新潟県米沢市上杉博物館には上杉景勝直江兼続狩野秀治の三人の仲が分かる書状が残っています。

上杉景勝狩野秀治に宛てた書状の内容が以下です。
『昨夜直江と大酒これをなし候、そこもと定めて家狭く候て、一入徒然たるべく候、』
 (昨日の夜は、直江(兼続)と3人で大酒を飲みましたね。あなた(狩野秀治)の家はせまいから、(今日は)寂しく感じているのではないですか。)

景勝の署名もなく、自筆で書かれたと思われるこの書状からは景勝兼続/a>と狩野秀治の仲の好さが感じられますね。

T-fileの管理人Takataka

景勝はあまり感情を出さない武将という印象ですが、こんな書状を書いてたりしたのですね。

信長の野望での狩野秀治

ゲーム信長の野望での狩野秀治のパラメーターを見てみましょう。

統率 73 (268 位)
武勇 49 (1412 位)
知略 80 (138 位)
内政 82 (94 位)
外政 86 (55 位)
合計 370 (153 位)

2200人中の順位です。
全体的に数値が高いですね。特に景勝の内政外交全般を任されていたのでそのパラメーターが非常に高いです。

直江兼続がこんな感じ。
統率 84 (71 位)
武勇 77 (178 位)
知略 87 (49 位)
内政 93 (16 位)
外政 89 (34 位)
合計 430 (25 位)

さすが兼続です。
この二人が政治を行っていたので上杉家は盤石の大勢でした。

まとめ

いかがでした?

直江兼続と双璧を成した狩野秀治
1600年の関ヶ原の戦い頃まで生きていたら上杉家はまた違った道を歩んでいたかもしれません。

それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。

参考
狩野秀治
file-88 古文書からみる上杉謙信
直江 兼続

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
現在フリーランスとしてwebサイトの開発をやっています!よろしく!

公式Twitterはこちら

プロフィールはこちら

ランキングアイコン

[マイナー武将列伝]関連記事一覧

おすすめ記事一覧

ページトップへ

旧国名を見る

閉じる

※地図上にマウスを当ててみてね

※地図上をタップしてみてね

名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬