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岩手の荒くれ者、柏山明長(かしやまあきなが)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、葛西家臣の柏山九郎明長(かしやまくろうあきなが)、別名・小山明長です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
柏山明長のデータ
柏山明久は陸奥国中部(現在の宮城県三陸沿岸から岩手県南部にかけての地域)の大名である葛西家の筆頭家臣である柏山明吉の三男として生まれました。
兄弟には以下の三人がいます。
- 長男(兄) : 柏山明国
- 次男(兄) : 柏山明宗
- 四男(弟) : 柏山明久(折居明久)
生年は不明だが、ゲーム信長の野望では1557年と設定されています。
柏山明久は小山城(九郎館)の城主でした。
この小山城は全体的に規模は小さいものの、要害な地形を巧みに利用し築かれています。
弟の折居明久とともに領内屈指の荒武者といわれていました。
重臣・三田氏を滅亡
三田氏は柏山家の創立当初からの重臣として主家を支え、代々忠誠の家柄の人でした。
1581年の柏山家の家督争いにより内乱が起こった際、三田氏の家老の三田将監を殺害します。
また、天正十六年(1588)には、重臣の三田義広が主家柏山氏に逆意を抱いていると讒言され、それを信じた当主・柏山明宗は柏山明長と四男・柏山明久らに命じて、三田義広討伐の軍を発させました。
この事態に永徳寺と正法寺の両僧が柏山明宗を説いたため、明宗も得心し両僧に調停を一任します。
しかし、両僧の前で三田父子は切腹してしまったのです。
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信長の野望での柏山明長
ゲーム信長の野望での柏山明長のパラメーターを見てみましょう。
統率 57 (953 位)
武勇 68 (436 位)
知略 41 (1901 位)
内政 26 (2152 位)
外政 27 (2139 位)
合計 219 (1900 位)
2200人中の順位です。
慢性的に人材不足である葛西家で、武勇が60以上あるのは貴重な存在です。
まとめ
いかがでした?
荒くれ者兄弟三男の柏山明長。
コーエーさんはよくこのようなマイナー武将を見つけてきますね!
すごいです。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。