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岩手県一の実力者・柏山明吉(かしやまあきよし)とは?【マイナー武将列伝】

岩手県一の実力者・柏山明吉(かしやまあきよし)とは?【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回紹介するのは、葛西家臣で家中随一の軍事力を誇っていた柏山明吉(かしやまあきよし)です。

一体何をしたのでしょうね?

さっそく行ってみよう。

葛西家臣。大林城主。柏山家は奥州千葉家の一族。胆沢郡の惣領職を務め、家中屈指の軍事力を誇っていた。葛西・大崎一揆で総大将を務めた柏山明宗の父。

柏山明吉のデータ

柏山明吉は葛西家の家臣です。
生年は不明ですが、ゲーム信長の野望では1530年と設定されています。

葛西家臣の中でいち早く領主化に成功し、陸奥国胆沢郡(現在岩手県内第二の人口を擁する奥州市の一部)の大林城主となり、家中の中心勢力になっていきました。

出自は、以下の2説があります。

  1. 葛西氏の一族で奥州合戦の際に葛西氏が陸奥に根付いたのと共にこの地に土着したという説
  2. 元々奥州藤原氏に仕えていた豪族だったという説

葛西家とは

葛西氏(かさいし)は、陸奥国中部(現在の宮城県三陸沿岸から岩手県南部にかけての地域)を統治した大身(数郡規模の国人領主)です。

鎌倉時代に武蔵国・下総国の御家人・豊島氏の一族である葛西氏が、陸奥国に所領を得て土着したようです。
戦国時代には奥羽の有力な戦国大名に数えられたが、豊臣秀吉の奥州仕置の際に大名として滅亡。

tips!

つまり柏山明吉は、奥羽の有力大名である葛西氏随一の有力家臣であったのですね。主家である葛西氏を凌ぐ勢威を誇ってた時期もあったようです。

天分の乱での柏山氏

天文11(1542)~天文17(1548)年にかけて伊達氏の内訌である「天文の乱」が起こります。

その際柏山明吉は、主人の葛西晴胤の命により伊達晴宗に味方し、伊達氏内紛の仲裁に尽力したといわれています。

永禄8年(1565年)には内西根城主・新渡戸頼長を攻め滅ぼします。

柏山家の内紛

天正8年(1580年)から長男・明国と次男・明宗が後継者の地位をめぐって内紛を引き起きます。
当時の当主・明国が横暴な性格だったため、家臣達が明宗を擁立して引退を迫ったのである。

さらには隣国の長部氏を攻撃しするが大敗を喫してしまいます。

この兄弟の家督継承争いは、柏山家対重臣・三田氏の対立にまで発展するようになり、隣国との戦敗も相まって次第に柏山氏は勢力を衰退させていく事になりました。

秀吉の奥州仕置による滅亡

天正18年(1590年)、大崎家との抗争など領内の情勢が不安だったため、葛西氏は小田原征伐に参陣できず。豊臣秀吉によって改易されてしまいます。
そして奥州仕置きによって葛西家・柏山家は滅亡してしまうのでした。

柏山明吉は豊臣軍に反逆し、浅野長政に大林城を攻められて没落します。明吉はこのときに戦死したと伝わっています。

明吉の孫・千代丸(後の柏山明助)のは叔父たちに後見され、南部信直の客分となったと言われ南部氏に重用されたと言われています。

信長の野望での柏山明吉

ゲーム信長の野望での柏山明吉のパラメーターを見てみましょう。

統率 69 (401 位)
武勇 61 (756 位)
知略 64 (695 位)
内政 44 (1620 位)
外政 52 (1216 位)
合計 290 (817 位)

2200人中の順位です。

家中随一の規模を誇っていたのでもう少し統率が高く設定されても良いのではないでしょうか。

まとめ

いかがでした?

地理的に日本の中心から遥か遠いため、歴史の中心人物にはなれませんでしたが、なかなかの実力者であった柏山明吉
主家を凌ぐほどの軍事力を持っていたのですがから、相当ブイブイ言っていたことでしょう。

それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。

参考
柏山明吉
葛西家屈指の軍事力を誇り、家中随一の実力をもった 柏山 明吉

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬