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揚北衆の首領・新発田綱貞(しばたつなさだ)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回は揚北衆の首領(ドン)・新発田綱貞(しばたつなさだ)について書いていこうと思います。
一体何をしたのでしょうかね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
新発田綱貞のデータ
新発田氏は北越後(新潟県)の国人で、揚北衆の一人です。
揚北衆というのは、北越後一帯に国人豪族で、は鎌倉時代からこの地を治めてきたため独立性が強く、守護の上杉家や長尾家としばしば対立していました。
揚北衆である本庄氏の本庄繁長は結構有名でしょう。
新発田氏は佐々木盛綱を祖とする佐々木党であり、加地氏の庶流でした。
新発田綱貞は新発田・五十公野城を領していました。
新発田城
五十公野城
新発田綱貞の活躍
戦国時代になると、新発田氏は惣領家である加地氏をしのぐ勢いを示して、阿賀野川以北の国人領主のなかで、長尾為景と対抗する最も独立性の強い存在にまで成長していました。
守護代の長尾為景が守護の上杉氏を倒し越後平定に奔走したときは、新発田綱貞は為景に従ったが、享禄三年(1530)上杉氏の一族上条定憲が長尾為景に対して兵を挙げた「上条の乱」が勃発すると、新発田綱貞はこれに呼応し本庄房長・鮎川清長・水原政家・黒川清実・中条藤資・五十公野景家・加地春綱・竹俣昌綱らと共に長尾為景と戦いました。
しかし最後は、長尾景虎(のちの上杉謙信)に臣従しました。
信長の野望での新発田綱貞
ゲーム信長の野望での新発田綱貞のパラメーターを見てみましょう。
統率 42 (1716 位)
武勇 47 (1513 位)
知略 72 (351 位)
内政 71 (330 位)
外政 73 (267 位)
合計 305 (624 位)
2200人中の順位です。
戦闘面でのパラメーターは低いですが、知略や政治の内政面でのパラメーターは上の中くらいの高さを有しています。
反為景派の指導的役割を担ったのでもう少し統率があっても良さそうです。
まとめ
いかがでした?
揚北衆の筆頭豪族になり反為景派のリーダ格になるも、さすがに軍神・長尾景虎(上杉謙信)には敵わず、しなやかに巨従しています。
意外と頭の固い田舎豪族ではなく、立ち回りが上手なお方でした。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。