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鹿伏兎定秀(かぶとさだひで)は何をした人?浅井長政との絆【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは北伊勢の武将、鹿伏兎定秀(かぶとさだひで)です。
一体何をした人なんでしょうね。
それでは見ていきましょう!
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鹿伏兎定秀の生まれ
生まれは詳しく分かっていないが、ゲーム信長の野望では1516年生まれと設定されています。
鹿伏兎豊前守宗心ともいう。
居城は三重県亀山市加太市場にある鹿伏兎城(かぶとじょう)です。
鹿伏兎城
はじめ牛谷城と呼ばれたが、鹿伏兎氏7代定好のとき修築して鹿伏兎城と呼ばれるようになる。
鹿伏兎定好の子鹿伏兎定長(鹿伏兎定秀の父)が、将軍足利義晴に白鷹を献上したことから、白鷹城とも称されるようになる。
伊勢北部を支配した関家と神戸家
当時、南伊勢は南北朝時代から伊勢国司の座にある北畠氏が、中伊勢には長野氏が勢力を張っていました。
鹿伏兎定秀がいる北伊勢というと関氏が有力であったが「北勢四十八家」と称される小規模豪族が、互いに対立と連合を繰り返していました。
北勢四十八家(ほくせいしじゅうはちけ)
伊勢国北部の北伊勢地域(特に三重県四日市市の周辺の北勢地域)に勢力をもった小規模の城主・豪族の集合体の呼称である。全部で53の家系があり、48家より5家多い。
関氏の関盛政は、十四世紀中頃、伊勢国鈴鹿郡関谷に拠って勢力を伸ばし、五人の子を亀山・神戸・峰・鹿伏兎(関盛政の四子 四郎盛宗)・国府の各城に配して北勢第一の豪族に成長していきます。
taka
鹿伏兎は関氏の庶流(本家より離れた一族)なんですね。
また、後で話題に出てくる神戸氏も関一族です。
ただ神戸家と関家は仲が悪かったのですが、神戸氏・関氏は、近江守護・六角氏の重臣・蒲生定家の娘を妻とする婚姻政策により仲を戻し、六角氏との関係も深めていきました。
taka
関氏・神戸氏・鹿伏兎氏 + 六角氏はまとまっていったのですね。
勢力を伸ばしていた信長にとって、尾張・美濃の南腹にあたり、京都へつながる東海道を擁する要所である伊勢はぜひとも手に入れたい国であるとともに、上洛に反対していた六角氏と結んでいる神戸氏・関氏・鹿伏兎氏は、近江制圧の際の敵となる可能性から、何としても攻略しておく必要があったと考えられます。
交流があった浅井長政
永禄二年(1559年)、小谷城にて城主浅井久政の長子の新九郎が十五歳で元服して備前守長政となり、南近江の有力な名門武家の佐々木六角家から正室を迎えました。
この祝宴に伊勢亀山の関一党の代表として鹿伏兎城からはるばると参列したのが鹿伏兎定秀です。
浅井長政の婚礼に招かれたところを見ると、お互いにかなり以前の少年時代から交流があったようです。
信長の伊勢侵攻
信長が伊勢侵攻を初めます。
1567年に織田信長の伊勢侵攻により鹿伏兎定秀は本家の関氏と共に反抗したが、織田信長の三男織田信孝の神戸氏に養子にて和睦した為に鹿伏兎氏も同じく講和して織田信長の傘下に入ります。
前年の侵攻から約6か月後の翌永禄11年(1568)2月、信長軍は体制を整えると、4万の大軍で再び伊勢に侵攻します。
この大軍の前に、北伊勢の領主たちはたちまち従えられていきます。
信長軍は前年に続き、再度高岡城を攻めるが、容易には落ちません。
そこで信長は、高岡城を楯に、神戸城で抵抗する神戸具盛(友盛)に対して、自身の三男・三七(のちの信孝)を神戸家の養子とすることを条件に和睦を打診、具盛(友盛)がこれを受け入れる。この時点から信長の戦略は、力攻めから謀略戦へ変わっていきます。
鹿伏兎定秀は父の鹿伏兎近江守定長や関中務大輔盛信とともにこれに抗しましたが、のちに和睦し織田の影響下に組み込まれました。
後に起こる清洲会議やその後の戦では、鹿伏兎家は織田信雄・羽柴秀吉ではなく神戸信孝・滝川一益側に付くので一応織田家に組み込まれるものの悪い関係ではなかったのかと思われます。
姉川の合戦で浅井方に加担
元亀元年(1570)、浅井長政が朝倉氏と結んで信長に兵を上げると鹿伏兎定秀は浅井長政との旧交により浅井方に加担しました。
鹿伏兎定秀は鹿伏兎城を弟定義と叔父坂定住に託すと、兵を率いて江州に出陣し、「姉川の合戦」において佐々成政と激戦、さらに酒井忠次、小笠原長忠らの軍と格闘して討死しました。
宗心の二人の遺児、四郎は元服したばかりの十五歳、六郎はまだ十四歳でした。
その後の鹿伏兎氏はというと、天正11年の本能寺の変後の織田信雄・羽柴秀吉と神戸信孝・滝川一益との対立で鹿伏兎氏は信孝方に与したため信雄によって攻められ、鹿伏兎城は落城したとされます。
まとめ
いかがでしたか?
北伊勢の鹿伏兎城主・鹿伏兎定秀。織田の伊勢侵攻に反旗を翻すが、和睦し、その後の姉川の合戦では旧友の浅井長政につきました。
地味に検索アクセスがあるので、意外とみんな興味があるのかな?
それでは、今後もマイナー武将列伝をアップしていくのでよろしくお願いします!