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武田勝頼の祖父である禰津元直(ねづもとなお)とは?【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、信濃の豪族である禰津元直(ねづもとなお)です。姓は根津、祢津とも。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
禰津元直の一生
禰津元直は、信濃国小県郡禰津(現長野県東御市祢津)の国人です。
生年は不明ですが、1495年と設定されています。
天文10年(1541年)に甲斐国の武田信虎に小県に侵攻した際、禰津元直は村上義清の軍勢に加わって抵抗するもで敗れ、同じ諏訪神党の諏訪頼重を通じて武田氏に臣従し知行を安堵された。
武田家では、武田信廉の配下となりました。
『高白斎記』に拠れば「天文12年12月15日条に禰津より息女が晴信に入嫁した」と記載があり、娘が武田信虎の嫡男・武田晴信(信玄)の側室として嫁ぎ、「禰津御寮人」と呼ばれたようです。
この禰津御寮人が武田勝頼を産んだ。
その後諏訪攻め・戸石城の戦いで戦功を挙げ旧領を回復。
天文22年(1553年)8月16日には信濃庄内(長野県坂城町)に1000貫文を与えられる。
主に真田幸隆の軍勢に加わったようで、岩櫃城攻めにも参加。
天正3年(1575年)の長篠の戦いで討死した。
この時、子の禰津信忠も討死したとされる。
信長の野望での禰津元直
ゲーム信長の野望での禰津元直のパラメーターを見てみましょう。
統率 57 (953 位)
武勇 47 (1513 位)
知略 58 (1032 位)
内政 41 (1751 位)
外政 47 (1481 位)
合計 250 (1480 位)
2200人中の順位です。
武田家にはたくさん優秀な家臣がいる中で、大した活躍の記録も残っていないので下の上程度の能力値です。
まとめ
いかがでしたか?
武田信虎に攻められ敗北するも、武田家臣として働きます。
唯一、娘が信玄の側室となり、武田勝頼を産んだことで武田家で一定の地位を得るまでになりました。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。