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北里柴三郎のルーツ!!肥後の武将・北里政義(きたざとまさよし)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、阿蘇氏の家臣である北里政義(きたざとまさよし)、別名北里惟経です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
北里一族のルーツ
北里氏は、肥後国(熊本県)の阿蘇郡小国郷北里に依拠した中世から続く小土豪、地侍の一族。
阿蘇には阿蘇山があり、ドライブやグランピングなどの観光がありますね。
北里氏は大和源氏である源頼親の末裔と称したようです。
大和源氏は、全国の武士が最も憧れた清和源氏の一流であるので地方であれば権力を持っていたでしょう。
鎌倉時代後期に源頼親の子孫とされる北里妙義が肥後国北里に下って永住したという伝承がある。
北里政義の活躍
南北朝時代に肥後桜尾城に拠って、阿蘇神社の大宮司である阿蘇氏に仕え、戦国時代には豊後の大友氏に属した。
安土桃山時代になると北里政義は加藤清正に250石で召し出され、寛永10年(1633年)小国郷の惣庄屋に任命されました。
加藤氏改易後は移封してきた細川氏に臣従した。
家紋は大変に珍しい左三つ巴に檜扇を使っているが、これは熊本藩初代藩主細川忠利から下賜されたものだと伝えられている。
北里柴三郎のルーツ
北里柴三郎は明治18(1885)年、ドイツのベルリン大学に留学し、破傷風菌抗毒素を発見し、次いで血清療法を開発して医学界に大きな貢献をした人物で、帰国後は伝染病研究所、北里研究所(北里大学の前身)を創立し、コレラ・チフス・赤痢の研究で成果をあげた。その功により大正13(1924)年には男爵が授けられている。
柴三郎の家は熊本藩惣庄屋の分家で、現在の小国町北里出身である。
北里政義の子孫が熊本藩士として続き、惣庄屋となった家があり、柴三郎の家は惣庄屋の家の分家筋にあたる。
信長の野望での北里政義
ゲーム信長の野望での北里政義のパラメーターを見てみましょう。
統率 50 (1331 位)
武勇 50 (1357 位)
知略 51 (1440 位)
内政 45 (1573 位)
外政 45 (1580 位)
合計 241 (1615 位)
2200人中の順位です。
全体的に中の下以下ですね。
活躍の実績がもう少し残っていれば高くなりそうですが…
まとめ
いかがでしたか?
北里柴三郎が新千円札になるのは楽しみですね。
本当に偉大な発見をした方なのでリスペクトです。
北里政義がうまく立ち回り生き残ってくれたからですね!
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。
参照
北里氏