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毛利元就のあまーい言葉に踊らされた秋月文種(あきづきふみたね)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、筑前の豪族である秋月文種(あきづきふみたね)です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
秋月文種の生まれ
永正9年(1512年)、筑前国(福岡県)の豪族である秋月氏14代当主・秋月種時の嫡男として誕生します。
享禄4年(1531年)、父・種時の死去に伴い家督を継承します。
秋月家はこの頃に大宰大弐や筑前など6か国の守護を兼任し中国地方随一の勢力を誇った大内義隆に従属しました。
大内氏と豊前の大友氏との和睦に功績があったとされており、天文10年(1541年)には大内義隆の推挙を受けて、室町幕府の幕臣にまで任じられています。
その功績もあり、文種の嫡子が第12代将軍・足利義晴から偏諱を受け、晴種と名乗りました。
古処山城の戦いで敗北し自刃する
天文20年(1551年)、後ろ盾であった大内義隆が家臣の陶晴賢の謀反により自害する(大寧寺の変)と、秋月家は豊前の大友宗麟に属します。
しかし中国地方で勢力を急速に拡大していった毛利元就の調略が成功し、秋月文種や筑紫惟門などは毛利家に属し大友家に対しては反旗を翻します。
元就は「大友を討てば、筑前・豊前を与える」と誘ったようです。
このため大友宗麟は戸次鑑連(立花道雪)と臼杵鑑速や高橋鑑種に2万の兵を預けて文種討伐を命じました。
古処山城で徹底抗戦するも大友氏による猛攻により陥落し、城主・秋月文種と嫡男・晴種は自害、三児(種実、種冬、種信)は毛利元就のもとへ落ち延びた。
これにより豊前秋月家は滅亡しほとんどの所領を失うが、子孫が島津氏に従属し大名として復活しています。
信長の野望での秋月文種
ゲーム信長の野望での秋月文種のパラメーターを見てみましょう。
統率 55 (1062 位)
武勇 64 (607 位)
知略 37 (2023 位)
内政 45 (1573 位)
外政 37 (1904 位)
合計 238 (1660 位)
2200人中の順位です。
室町幕府の幕臣に推挙されるほどの人物だったのでそこまで無能な人間ではなかったことでしょう。
ゲーム内では武勇パラメーターが比較的高く設定されていますが、元就の謀略により最終的に身の破滅を招いたところから知略が低く設定されています。
まとめ
いかがでしたか?
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