今日は何の日?

  • ● 1546年 北条氏康が上杉憲政、上杉朝定らを破る
  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
  • ● 1556年 斉藤道三が対立していた息子・義龍に敗れ討死
  • ● 1546年 北条氏康が上杉憲政、上杉朝定らを破る
  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
  • ● 1556年 斉藤道三が対立していた息子・義龍に敗れ討死

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この人誰?

本堂忠親

武将名鑑【信長の野望 大志(パワーアップキット)】

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神戸具盛(かんべとももり)

神戸具盛 の能力値
統率

高いほど、決戦での移動速度が上がったり、籠城戦で城を奪われにくくなったりする。
また高いほど、評定で意見を出したとき、軍事の施策力を獲得しやすい。

36 (1937 位)
武勇

高いほど、決戦で敵部隊に与えるダメージが増える。

40 (1828 位)
知略

高いほど、決戦で敵部隊から受けるダメージが減る。
また高いほど、評定で意見を出したとき、論議の施策力を獲得しやすい。

41 (1903 位)
内政

高いほど、評定で意見を出したとき、
農業・商業の施策力を獲得しやすい。

41 (1753 位)
外政

「外交」で奏者に任命した際、高いと心証が上がりやすくなる。

38 (1872 位)
合計 196 (2064 位)2201人中
神戸具盛のグラフィック画像
神戸具盛 の基礎データ
性別
神戸長盛
配偶者・正室 蒲生定秀の娘
その他のデータ 列伝
誕生年 1526年 伊勢の豪族。神戸城主。織田信孝(信長の子)を養子とする。のちに信長により日野城に幽閉されるが、信孝が四国へ出陣する際、許されて留守居役を務めた。
死亡年 1600年
気質 実利
野心 8
所領拡大 しょりょうかくだい
戦法

決戦で武将から献策があると実行できる。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

戦法名 気勢崩し 消費ゲージ 4
効果 周囲の敵の移動速度と攻撃力を小低下
作戦

決戦開始時に決める。
作戦によって様々な効果がある。
青く表示されている戦法は自動で発動する。

作戦名 囮挑発戦法
読み おとりちょうはつせんぽう
条件 海(湖)以外
消費軍議 30 必要部隊 2
効果 囮隊の速度が小上昇、防御が上昇し、周囲の敵を挑発
補佐
堅固 挟撃されたときの地震の士気減少効果を低下

神戸具盛が登場する合戦

  • 神戸城の戦いかんべじょうのたたかい [織田信長の伊勢平定]

    1568年2月

    三重県鈴鹿市神戸

    山路弾正

    LOSE

    永禄10年(1567年)の伊勢侵攻に失敗した織田信長は、翌永禄11年(1568年)2月、再び4万の軍勢で北伊勢に侵入して神戸具盛が守る神戸城を包囲する。

    不利を悟った具盛は、一人娘に信長の三男である三七(織田信孝)を婿養子として迎えるという条件で和睦した。

    以後三七は神戸三七郎と名乗っている。

    養子入りに際しては、乳兄弟の幸田彦右衛門が傳役として付けられ、信長家臣からは岡本太郎右衛門・坂仙斎・三宅権右衛門・坂口縫殿助・山下三右衛門・末松吉左衛門らが信孝付きとして付けられた。

    神戸具盛は養子となった三七郎を冷遇したため信長の勘気にふれて、元亀2年(1571年)に信長に命じられた蒲生賢秀により近江日野城に幽閉させられると、三七郎に神戸氏の家督を譲るように強制された。

    神戸氏家老の高岡城主である山路弾正らはこれに激しく抗議したが、謀反の疑いをかけられ自害に追い込まれた。

    その後、元亀3年(1572年)に織田信孝が岐阜城において元服すると、信孝が神戸家の家督を継いだ。

    詳細を見る

  • 和田山城の戦いわだやまじょうのたたかい [織田信長の上洛戦]

    1568年9月12日

    滋賀県東近江市五個荘和田町

    田中治部大輔

    LOSE

    織田信長は、箕作城と同時に六角氏側の主力の一つである和田山城も稲葉良通(一鉄)が率いる第1隊に攻撃させていた。

    しかし箕作城の落城を知った和田山城を守る田中治部大輔らは、戦わずに夜のうちに逃亡してしまった。

    たった1日で箕作城と和田山城が共に落ちたことに落胆した六角承禎義治父子は、9月12日に夜陰に乗じて居城の観音寺城を捨てて甲賀に逃れた。

    翌13日、信長が観音寺城に入城すると六角方の18の支城も1つを除き開城し、六角氏の家臣は信長に降伏した。

    この戦いの織田軍の損害は1500人ほどだと『フロイス日本史』に記載されている。

    ちなみに抵抗を続けていた六角氏の城は蒲生賢秀が守る日野城であった。

    結果的に賢秀の妹を妻としていた織田家の部将・神戸具盛の説得で、賢秀信長に人質を差出して忠節を誓った。

    この人質が蒲生氏郷である。

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神戸具盛が登場する記事一覧

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬